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井出正易
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井出 正易(いで まさやす)は、江戸時代前期から中期の武士 。
出自
井出正易は、大宮代官であった井出正勝[注釈 1]の二男である。また母方の祖母は大宮城主であった富士信忠の娘であるため[2]、富士信忠は正易の曽祖父にあたる。
略歴
『寛政重修諸家譜』[3](以下『寛政譜』)によると、以下のようにある。
慶安4年(1651年)9月、徳川綱吉附属となり小十人に列する。のち小十人組頭を経て腰物奉行となる。
延宝8年(1680年)に江戸幕府将軍を綱吉が継ぐこととなり江戸城本丸に入ると、正易はこれに供奉する。それに伴い廩米200俵を賜り、三丸広敷番頭となる。天和3年(1683年)9月に享年49で死去。
正易は天和2年(1682年)11月に江戸神田橋門内に屋敷を拝領しており、坪数は300であった[4]。家督は子の政武が継いだ。
脚注
参考文献
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