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井深文司
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井深 文司(いぶか ぶんじ、1900年〈明治33年〉10月21日 - 没年不明)は、日本の大蔵省官僚、満洲国の文官。満洲国建国初期に税務関係のポストを歴任した。
来歴
東京市牛込区矢来町30番地(現・東京都新宿区矢来町30番地)に生まれる。本籍地も同じ[1]。
1926年(大正15年)、東京帝国大学農学部水産科を卒業[2]。
大蔵省に奉職し、税関鑑査官補に任じられる。ついで、税関鑑査官に任じられ神戸税関、大阪税関に奉職。
1932年(大同元年)3月1日に満州国が建国されると、翌1933年(大同2年)、満洲国の財務部税務司技正(薦任官七等)に就任。
1937年(康徳4年)、営口税関鑑査科長(薦任官四等)となる。その後、安東税関鑑査科長を経て、1939年(康徳6年)12月、安東税関第一鑑査科長兼第二鑑査科長(薦任官一等)に任じられる[3]。
家族
井深家の先祖は、室町時代初期の大塔合戦に「井深氏」としてその名が登場する。守護小笠原氏の一族で侍大将として善光寺に入り、現在の長野市後町において、もっぱら政務に携わったのが井深勘解由左衛門である。大塔合戦敗戦後は、小笠原氏の本拠である現在の松本市近くの岡田伊深にある伊深城山を拠点として戦国時代をむかえた。武田信玄の信濃侵攻により主家の小笠原氏が出奔したため、隣接地の武田側領主である大日方氏に仲介を依頼し武田氏に従属した。
補註
参考文献
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