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井田完二
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井田 完二(いだ かんじ[1]、1897年(明治30年)3月23日[2] - 1988年(昭和63年)[3])は、日本の内務官僚。従六位[4]。井田特許事務所長[1][5]。
経歴
福井県遠敷郡雲浜村(現:小浜市)生まれ[4]。井田謙治の二男[6][7]。日本加除出版取締役・井田勝久(井田耕治)の弟[8][9]。1922年[6]、高等試験行政科に合格する[1][8][9]。1923年、京都帝国大学法学部独法科を卒業する[6][8][10]。
内務省に入り、石川県警視、地方事務官、奈良、埼玉、愛媛、広島各県勤務[8]。本省地方局地方債課長、財務課長、宮城、広島各県警察部長を歴任[8]。1934年3月18日から1935年1月19日まで広島市長職務管掌[11]。1945年に住宅営団理事となり、大阪支所長を兼ね、1949年に大阪府立大学学生部長となり、後に退職、京都市内に特許事務所を開く[1]。
人物
宗教は禅宗[1][2]。趣味は庭球、漕艇[2]、絵画[1][7]。住所は奈良市東城戸町[1][7]。先妻・璋子は大日本麦酒監査役・内田恒太郎の三女で、息子、娘がいる[8][9]。著書に井田の短歌を集めた『楽書日記』、『続 楽書日記』がある[12]。
家族・親族
- 井田家
2002年に井田家住宅が国の登録有形文化財に登録されている[13]。
- 親戚
- 兄・井田勝久(日本加除出版取締役)[1]
脚注
参考文献
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