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享徳

日本の元号 ウィキペディアから

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享徳きょうとく旧字体享德は、日本元号の一つ。宝徳の後、康正の前。1452年から1455年までの期間を指す。この時代の天皇後花園天皇室町幕府将軍は足利義政

改元

当時の関白であった一条兼良の強い意向によって行われた改元とされている(『建内記』享徳元年7月25日条)[1]

なお、康正改元当時、室町幕府から追討を受けていた古河公方足利成氏は康正以後の改元を認めず、以後も関東の広い地域において、「享徳27年」(=文明10年=1478年)まで用いられていた(享徳の乱)。これについては、京都の室町幕府に抵抗して改元を受け入れなかったとする佐藤博信[2]説と室町幕府が改元詔書を関東管領上杉氏(幕府方)のみに下したからだとする峰岸純夫[3]説がある[1]

出典

尚書』の「世々享徳、万邦作式」から。

享徳期におきた出来事

2年

  • 11月、因幡守護・山名熈高の死去に伴う家督争論に勝利した山名熈幸が兄の熈成を因幡から追放する。
3年

出生

死去

西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 享徳元年(壬申), 一月 ...
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脚注

関連項目

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