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仁木高長

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仁木 高長(につき たかなが)は、室町時代後期の武将[1]

概要 凡例仁木高長, 時代 ...

概要

伺事記録』には、延徳2年(1490年)閏8月18日に仁木右馬助(貞長)の子・千代菊丸の名前が見える。父は鈎の陣で討死しているため、千代菊丸は当時5歳で家督を相続した[1]

長興宿禰記』延徳3年(1491年)8月22日条によると、9歳で第二次六角征伐に従軍している[1]

文亀3年(1503年)12月18日付けの「東福寺文書」によれば、仁木次郎四郎高長が京都六角の家屋を横領している[1]

後法成寺関白記永正4年(1507年)12月29日条によると、この日に「(近衛尚通)の北方妹」が高長に嫁いでいる。尚通の北の方正室)は徳大寺実淳の娘(維子)であるため、高長の妻も実淳の娘であると考えられる[1]

『後法成寺関白記』永正8年(1511年)8月16日条によれば、足利義稙に同行して丹波国に下向し、その後船岡山合戦に参戦している。また、同年10月21日以降は右馬助の名前が見えるようになり、高長が右馬助に任官されたことがわかる[1]

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脚注

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