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今井俊満

1928-2002, 洋画家 ウィキペディアから

今井俊満
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今井 俊満(いまい としみつ、1928年5月6日 - 2002年3月3日)は、日本画家アンフォルメルの画家として、日本とパリを拠点に活動した。息子の今井アレクサンドル、今井龍満(りゅうま)も画家。

概要 今井 俊満, 生誕 ...

人物

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製作中の今井

父俊雄と母綾野の次男。京都市に生まれ、幼い時に大阪市船場安土町に転居[1]大阪市立船場尋常小学校[2]を卒業すると、1941年に上京して旧制武蔵高等学校尋常科に入学した[1]。武蔵高校在学中から絵を描き始め、荻太郎梅原龍三郎安井曾太郎などに師事。1948年に武蔵高校を卒業した[1]

高校卒業後の1948年10月には第12回新制作派協会展で入賞[1]。1950年には東京藝術大学美術学部油絵科で1年間派遣学生として学び[3]、1952年にはフランスに私費留学し[1]ソルボンヌ大学文学部に学ぶ[4]サム・フランシスミシェル・タピエを知り、自身もアンフォルメル運動に参加した[1]。1956年に日本橋・高島屋で開催された「世界・今日の美術展」の際には、アンフォルメル作品の出品を斡旋[1]。日本で初めて本格的にアンフォルメルを紹介した展覧会であり、ジョルジュ・マチウ英語: Georges Mathieu、タピエ、フランシスらが日本を訪れている[1]

1962年、現代日本美術展優秀賞受賞、1979年、紺綬褒章受章[5]。1983年にはフランスの芸術文化勲章オフィシエ受章[3]。1995年にはレジオン・ド・ヌール勲章シュバリエ受章[5]。1997年にはフランス芸術文化勲章コマンドール受章[5]。1998年には文部大臣表彰[5]

1992年、急性骨髄性白血病を発症するものの、精力的な創作活動を続けた。2000年、末期がんで余命数ヶ月と告知され、同年12月、東京・銀座のギャラリーGANで「サヨナラ展」を開催。2002年3月3日、膀胱癌のために東京都中央区の国立がんセンター中央病院で死去[1]

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個展

作品

1992年には新千歳空港に12メートルの壁画を作成したが、2014年4月現在一般人が立ち入れない区域にあり観ることはできない。

書籍

脚注

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参考文献

外部リンク

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