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今井梧楼

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今井梧楼
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今井 梧楼(いまい ごろう、1892年明治25年)2月11日[1] - 1944年昭和19年)12月29日[2][3])は、大正から昭和時代前期の政治家長野県岡谷市長。

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今井 梧楼

経歴・人物

長野県諏訪郡平野村(現・岡谷市)の今井千尋の長男として生まれる[2][4]。今井家は中山道塩尻峠口の本陣を務めた名家[2]1910年(明治43年)3月、諏訪中学校(現・長野県諏訪清陵高等学校)卒業[1]

平野村役場勤務を経て、1923年(大正12年)同村助役に就任[1][2]1927年(昭和2年)9月より長野県会議員に3期連続で当選する[1]。参事会員などを経て、1934年(昭和9年)平野村長に就任し、諏訪郡町村長会会長を兼任した[1]。翌年の1935年(昭和10年)、諏訪郡農会長に就任し、ついで1936年(昭和11年)5月5日に市制施行とともに岡谷市長に就任した[1][4]。製糸業の不況期にあって市制施行を推進し、多角的工業化を推進した[2]1944年昭和19年)12月29日、在職中に没した[2][3]

ほか、長野県治水砂防協会長、岡谷製糸振興会長など県の関係諸団体の要職を歴任した[4]

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脚注

参考文献

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