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今田束
日本の医師 (1850-1889) ウィキペディアから
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今田 束(いまだ つかぬ、嘉永3年9月10日(1850年10月15日)[1] - 明治22年(1889年)11月22日)は、明治期の解剖学者、医師。日本の解剖学の草分け。従七位。「解剖学のパイオニア」とも称される。



経歴
周防国岩国藩士・佐藤逸(佐伯逸蔵とも)の三男として玖珂郡錦見村(現・山口県岩国市)で生まれ、今田家の養嗣子となる[1]。8歳の時に玉乃世履に師事して漢籍を学び、13歳の時から藩校の養老館で学ぶ[1]。維新時に京都守護兵として鳥羽・伏見の戦いに従軍。のち箕作秋坪に学び、次いで慶應義塾に入学し[2]、洋学を学ぶ。医学を志し、明治5年(1872年)、第一大学区医学校に入学し兵籍を脱する。ドイツ人医師、ウィルヘルム・デーニッツ(Wilhelm Dönitz)につき解剖学を修める。明治12年(1879年)に東京大学医学部助教授、のち教授となり、解剖学に関する標本類を作製し実験に供した。また、解剖学人工体を作り欧米の博覧会に出品するなどしている。腸チフスを発症し[1]、40歳で早世した。
著書
- 『実用解剖学』
- 『動脈一覧図及解』
- 『神経一覧図及解』
- 『心臓及内臓一覧図』
脚注
参考文献
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