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仲小路廉
日本の検察官、司法・逓信・内務官僚、貴族院勅選議員、枢密顧問官 ウィキペディアから
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仲小路 廉(なかしょうじ れん、慶応2年7月3日(1866年8月12日)- 1924年(大正13年)1月17日)は、日本の検察官、司法・逓信・内務官僚、貴族院勅選議員[1]、枢密顧問官。旧名・喜久三[2]。号は靄軒。

経歴
周防国徳山藩下士・仲小路休量の二男として生まれる[2][3]。大阪府立中学を経て、府立開成学校卒業後、1887年(明治20年)に高等文官試験司法科の前身である判事検事登用試験に合格。そののち東京控訴院検事兼司法省参事官などを経て、行政裁判所評定官を務めた。こののち逓信省に転じて大臣官房長を務め、内務省に出向して土木局長、警保局長を歴任した後、1910年(明治43年)逓信次官となり官僚としての頂点を極めた。
退官後の1911年(明治44年)8月24日、貴族院勅選議員に勅任された[4]。1912年(大正元年)に第3次桂内閣の農商務大臣として初入閣を果たすが、この内閣は2か月間の短命に終わっている。1916年(大正5年)の寺内内閣で再び農商務大臣となり、この時は約2年間にわたってこれを務めあげている[1]。
1923年(大正12年)9月26日には枢密顧問官を拝命し[1]、同年10月27日に貴族院議員を辞任した[5]。それから間もない翌年1月17日脳溢血により満57歳で死去[6]。墓所は青山霊園(1ロ8-1~14)。
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栄典
- 位階
- 勲章等
親族
脚注
参考文献
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