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U181 (潜水艦)

ドイツおよび日本の一等潜水艦 ウィキペディアから

U181 (潜水艦)
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U-181第二次世界大戦時のドイツ海軍潜水艦Uボート)。IXD/2型。ドイツの降伏後は日本軍に接収されて伊号第五百一潜水艦(いごうだいごひゃくいちせんすいかん)となった。U-181は大西洋において3隻、19,454トン、インド洋で24隻、119,325トン[2]の船を沈めている。

概要 U-181 伊号第五百一潜水艦, 基本情報 ...
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艦歴

1941年3月15日、U-181ブレーメンデシマーク、AVヴェーザー造船所で起工。1941年12月30日に進水し、1942年5月9日にヴォルフガング・リュート艦長の元で就役した。シュテッティン第4潜水隊群で訓練を行った後、1942年10月1日に第10潜水隊群に編入され、11月1日には第12潜水隊群に移った[3]

U-181はリュートの指揮の元で1942年から1943年にかけて南アフリカモザンビーク沖へと出撃し、22隻、合計103,712トンを沈めた[4]。これにより、リュートはオットー・クレッチマーに次いで戦果をあげたUボート艦長となり、少佐への昇進と柏葉・剣・ダイヤモンド付騎士鉄十字章を獲得した。また、リュートは第22潜水隊群司令官となった[5]

1943年11月1日、クルト・フライヴァルト (Kurt Freiwald) がU-181艦長となった。U-181は1944年中頃にボルドーからペナンへ向かい、4隻、24,869トンを沈めた[4]。この際、Fa 330やNaxosレーダー探知機を運んでいる[6]:183–184,190。1944年10月1日、第33潜水隊群に転籍[3]。帰路ではスズ130トン、モリブデン20トン、生ゴム80から100トンや最新のレーダー探知機FUMB26 TUNISを積み[6]:199,207、1隻、10,198トンを沈めた[4]。積荷のため魚雷は2本しか搭載しておらず、1隻を沈めるのでそれは消費された[6]:215。ベアリングの磨耗のため、帰路の航海は途中で中止され、1945年1月6日にバタビアへと戻った。また、その途中でココス諸島付近で潜水艦U843へと燃料を移している[6]:219–221

1945年(昭和20年)5月にドイツ連合国に降伏したためシンガポールで帝国海軍に接収され[7]、7月15日に艦籍に入って伊号第五百一潜水艦となる。呉鎮守府籍となり、第一南遣艦隊付属となった。入籍が戦争末期であったために活躍することなく終戦を迎えた。まもなくシンガポールでイギリス軍に接収され、11月30日に除籍された。1946年(昭和21年)2月16日0545、北緯03度05分 東経100度04分マラッカ海峡で海没処分された[8]

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戦果一覧

さらに見る 日付, 船名 ...
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伊号第五百一潜水艦歴代艦長

艦長

  1. 佐藤清輝 少佐:1945年7月15日 -

脚注

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