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伊号第四十八潜水艦

日本の一等潜水艦 ウィキペディアから

伊号第四十八潜水艦
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伊号第四十八潜水艦(いごうだいよんじゅうはちせんすいかん、旧字体:伊號第四十八潜水艦)は、日本海軍潜水艦伊十六型潜水艦(巡潜丙型)の8番艦[3]

概要 伊号第四十八潜水艦, 基本情報 ...
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艦歴

1941年昭和16年)の昭和17年度計画(マル急計画)により、佐世保海軍工廠1943年(昭和18年)6月19日起工、12月12日進水、12月22日に艦艇類別等級別表に加えられ[3]1944年(昭和19年)9月5日に竣工した。横須賀鎮守府籍となり、訓練部隊の第六艦隊第11潜水戦隊に編入。

12月7日、第15潜水隊に編入。

1945年大津島に移動。1月9日に大津島を出港し、回天特別攻撃隊(金剛隊)としてウルシー環礁へ向け出港していくのを最後に消息不明[4]

アメリカ側の記録によると、1月21日1930、ウルシー西方沖で哨戒中の米飛行艇マリナーがウルシーへ向け18ノットで浮上航走中の潜水艦を発見。同機はこの国籍不明の潜水艦に応答を求めたところ、急速潜航していったため爆雷2発とMk24電池式音響探知魚雷を投下した。哨戒機からの通報を受け、米護衛駆逐艦コーベジアー英語版コンクリン英語版ラビー英語版の3隻が差し向けられた。23日0310、ヤップ島北東15浬地点付近でコーベジアーのレーダーが自艦から約9km離れた海域で光点を示した。その光点は18ノットで動いているようだった。0336、その光点が消えたため、潜航した潜水艦であると判断したコーベジアーは潜水艦を捜索。その結果聴音が行動中の潜水艦を探知し、ヘッジホッグによる攻撃を開始。まもなく、コンクリンとラビーも合流した。3隻で攻撃を続けているうち、潜水艦を見失ってしまう。0902、コーベジアーは再度潜水艦を探知し、ヘッジホッグを投下。0912にも潜水艦を聴音で探知し、ヘッジホッグを投下。0934、コーベジアーが再度ヘッジホッグを投下してから17秒後、同艦から約500m離れた位置の深度53mの地点でヘッジホッグが爆発する4・5回の爆発音を聴取。0936、海中で大爆発音がした。その爆発は激しく、コンクリンの機関と舵が一時使用不能になるほどだった。大きな気泡、次いで重油と潜水艦のものと思われる破片、日本兵と思われる死体が浮かんできた。コンクリンは浮遊する木の板や木片、コルク片、ニスが塗られた木製の内装品、「中身入り」の手編みの青いセーターの袖、本、箸を回収した。これが伊48の最期であり、艦長の当山全信少佐以下、回天搭乗員4名を含む乗員112名全員戦死。沈没地点はウルシ―西方18浬地点付近、北緯09度55分 東経138度17分

1月21日喪失認定[4]5月10日除籍[5]

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歴代艦長

※『艦長たちの軍艦史』420頁による。

艤装員長

艦長

  • 当山全信 少佐:1944年9月5日 - 1945年1月23日戦死

脚注

参考文献

関連項目

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