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伊号第百八十潜水艦
日本の潜水艦 ウィキペディアから
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伊号第百八十潜水艦(いごうだいひゃくはちじゅうせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。伊百七十六型潜水艦(海大VII型)の5番艦。
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艦歴
- 1941年(昭和16年)4月17日 - 横須賀海軍工廠で起工。
- 1942年(昭和17年)2月7日 - 進水
- 1943年(昭和18年)1月15日 - 竣工。佐世保鎮守府籍となり呉潜水戦隊に編入[2][3]。
- 2月15日 - 第22潜水隊に編入[2]。
- 3月15日 - 第22潜水隊が第3潜水戦隊に編入[2]。
- 3月30日 - 呉出港[2]
- 4月7日 - トラック着[2]
- 4月10日 - トラックを出航し、南太平洋で活動[2]。
- 4月29日 - 南緯31度17分 東経153度07分のスモーキー岬(en)東南東55浬地点付近で豪貨客船ウオロンバー(Wollongbar、2,239トン)を撃沈[4]。
- 5月5日 - 南緯30度35分 東経153度29分のコフスハーバー近海で、ノルウェー貨物船フィンガル(Fingul、2,137トン)を撃沈[4]。
- 5月12日 - PG50船団を攻撃し、豪客船オーミストン(Ormiston、5,832トン)、豪貨物船カラデール(Caradale、1,881トン)を撃破[4]。
- 6月20日 - トラックを出航し、ニューカレドニア、ソロモン方面で活動[2]。
- 7月13日 - コロンバンガラ島沖海戦で戦没した軽巡洋艦「神通」の乗員21名を救助[2]。
- 7月21日 - ブインに到着し「神通」乗員を上陸させ、同日に出航し、22日、ラバウルに到着[2][3]。
- 8月2日 - ラバウルを出航し、ラエ輸送に従事[2]。
- 9月17日 - ラバウルを出航し、シオ、フインシュ輸送に従事[2]。
- 10月2日 - ラバウルでの空襲で損傷を受け、潜航不能となる[3]。
- 10月26日 - トラックを出航[2]。
- 11月2日 - 佐世保に帰投し修理を実施[2][3]。
- 1944年(昭和19年)1月1日 - 佐世保を出航。8日、トラック着[2]。
- 1月19日 - トラックを出航したが、故障により引き返し、21日、トラック着[2]。
- 1月22日 - トラックを出航し、30日、佐世保に帰投し修理を実施[2][3]。
- 3月16日 - 佐世保を出航し、19日、大湊入港[2]。
- 3月20日 - 大湊を出航し、アリューシャン方面で行動[2]。
- 4月19日 - 北緯54度22分 東経163度24分のアラスカ南方沖で米リバティ船ジョン・シュトラウブ(John Straub、7,176トン)を雷撃により撃沈。
- 4月27日 - 夜半にコジャック島南方で米護衛駆逐艦「ギルモア」の攻撃を受け戦没。藤田艦長以下全員が戦死[3]。
- 5月20日 - コジャック島方面で亡失と認定[5]。
撃沈総数3隻、撃沈トン数11,552トン。撃破総数2隻、撃破トン数7,713トン。
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歴代艦長
※『艦長たちの軍艦史』439-440頁による。
艤装員長
- 日下敏夫 少佐:1942年12月1日 -
艦長
- 日下敏夫 少佐:1943年1月15日 -
- 藤田秀範 大尉:1943年9月1日 - 1944年4月27日戦死
脚注
参考文献
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