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伊木寿一
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伊木 壽一(いぎ ひさいち、明治16年(1883年)3月3日 - 1970年11月28日[1])は、日本の歴史学者。専門は日本古文書学。
経歴
- 出生から修学期
1883年(明治16年)、山口県大津郡三隈村(現在の山口県長門市)で山口県士族伊木尚義の長男として生まれた。山口中学校、山口高等学校[2]を経て、東京帝国大学文科大学史学科に進学。1906年に卒業[3]。同大学大学院に入学し、古文書学を専攻した[4]。
- 日本史研究者として
1907年、東京帝国大学史料編纂掛嘱託となり、『大日本古文書』の伊達家文書・相良家文書等の編纂に従事[1]。1908年からは國學院大學、1911年からは慶應義塾大学部で講師として古文書学を講義した(兼任)。1925年に史料編纂官となり[5]、『大日本史料』第9編の編纂を手掛けた。1926年より東北帝国大学法文学部講師を兼ねた。
1940年、学位論文『日本古文書学ノ研究』を慶應義塾大学に提出して文学博士の学位を取得[6][7]。1943年、東京帝国大学史料編纂官を定年退官[1]。
- 戦後
退任後は、1947年より聖心女子学院専門学校の講師として教鞭を執った。1949年からは立正大学文学部講師についても兼任。この他にも、慶應義塾大学・明治大学・宇都宮大学・東京都立大学 (1949-2011)などに出講した。1954年からは東京都文化財委員会の専門委員を務め、地域の文化財行政にも貢献した。
学界では、1966年に日本古文書学会が創設されると、その初代会長に就任した[1]。1970年に死去。没後、勲三等が贈られた。
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受賞・栄典
- 1970年:叙勲三等
研究内容・業績
専門は古文書学。東京帝国大学史料編纂掛に長く勤務し、『大日本古文書』や『大日本史料』の編纂に従事した。筆跡鑑定にも見識があり、戦前は大審院や控訴院から鑑定を求められ、戦後も帝銀事件などの事件を担当した[8]。
著作
参考文献
- 高橋正彦、河北展生「伊木寿一先生の訃」『史学』第43巻第4号、慶応義塾大学、1971年、649-654頁、NAID 110007410164。
- 桃裕行「本会元幹事伊木寿一氏逝く」『歴史地理(日本歴史地理学会編)』第92巻第2号、1972年、58-59頁。
脚注
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