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伊東祐賢 (富山県の政治家)

実業家、政治家 ウィキペディアから

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伊東 祐賢(いとう すけたか、1869年3月5日〈明治2年1月23日[1][2]〉- 1945年昭和20年〉1月25日[1][3])は、明治後期から昭和前期の実業家政治家衆議院議員富山県下新川郡泊町長。幼名・柳太郎[1]

経歴

越中国新川郡沼保村(富山県[3]下新川郡泊町沼保[1]を経て現朝日町[1]沼保)で、温泉業・伊東次郎左衛門祐明の長男として生まれる[1][2][4]。祐明の養子・祐寛の相続人となり[1]1891年(明治24年)家督を相続した[4]。岡田信之に師事し漢籍を修めた[2][4]。富山県尋常中学校(現富山県立富山高等学校)を卒業し[1][4]、上京して専修学校(現専修大学)で経済学を学んだ[1][3][4]

家業の小川温泉の経営を行う[2]。1912年(明治45年)の大洪水で小川温泉が多大な損害を受けたため、移転も検討されたが泊町での再建が決定され、1913年(大正2年)7月、小川温泉株式会社が設立され社長に就任した[1][4]。その他、保久社取締役、泊銀行取締役などにも在任した[1][3][4]

政界では、泊町会議員、富山県会議員(1903年9月-1907年9月)を務めた[1][2][3][4]。1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙(富山県郡部、立憲政友会)で当選し[2][4][5]、衆議院議員に1期在任した[1][3]。政友会の富山県支部長、下新川郡支部長なども務めた[1]。1920年(大正9年)2月3日に泊町長に就任し、1921年(大正10年)6月7日まで在任した[6]

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著作

  • 編『小川温泉誌』伊東祐賢、1904年。

脚注

参考文献

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