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伊籍
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伊 籍(い せき)は、中国の後漢末期の政治家。字は機伯。本貫は兗州山陽郡。
事績
若い頃から鎮南将軍・荊州牧の劉表[1]のもとに身を寄せていた。劉備が荊州に滞在すると、伊籍は彼のもとを往来し、関わりを持った。劉表が没すると劉備に付き従い、やがて益州に入った。劉備が益州を平定すると左将軍従事中郎に任じられ、簡雍・孫乾らに次ぐ待遇を受けた。
使者として孫権のもとへ派遣された時、孫権は伊籍の弁舌の才を知っていたので、彼を言い負かしてやろうと考えた。伊籍が入室して拝礼すると、孫権は「無道の主君に仕えて苦労しているか?」と尋ねた。伊籍はこれに答えて曰く。「一度拝礼して一度起つだけのこと。苦労と言うには及びません」と。孫権はこの答えに感心した。
三国志演義
羅貫中の小説『三国志演義』では劉表配下の幕僚として、第34回から登場。劉備が乗っていた的盧が凶馬であると密かに指摘するが、劉備は「人の生死は運命であり、馬によって妨げられることなどありません」と答えた。伊籍はその答えに感服し、以後は劉備との間を往来するようになる。劉表配下の蔡瑁が劉備暗殺の計略を巡らせると、伊籍はこれをたびたび劉備に伝え、危機から救った[3]。
劉表の死後は劉備に付き従うが、史実とは異なり当初は益州に入らず、関羽らと共に荊州に残る[4]。樊城の戦いの最中、関羽が呂蒙に荊州を奪われると救援を求める使者として益州に向かうが[5]、伊籍らが益州に着いた時にはすでに遅く、関羽は戦死に至る[6]。その後、劉備が皇帝として推戴された際には昭文博士として、官僚の一員に名を連ねている[7]。
出典
- 陳寿撰、裴松之注『三国志』蜀書 伊籍伝 s:zh:三國志/卷38#伊籍
脚注
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