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本貫

古代東アジアで戸籍の編成(貫籍)が、それにもとづき行われた土地 ウィキペディアから

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本貫(ほんがん、ほんかん)は、古代東アジア戸籍の編成(貫籍)が、それにもとづき行われた土地をいう。転じて、氏族集団の発祥の地を指す。

日本律令制下の戸籍制度とともにこの概念が導入された。中世以降、武家名字(苗字)の由来となった土地(名字の地, 一所懸命の土地)を「本貫」、「本貫地」(ほんがんち)と称す。

中国籍貫簡体字籍贯繁体字籍貫拼音:jí guàn〉)・朝鮮半島朝鮮語: 본관)では、本貫は、個人の戸籍の所在地の意味を離れ、氏族集団(宗族)の始祖の発祥地として使用された。大韓民国では現在も家族制度上大きな意味を持つ。

日本の本貫

要約
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律令制での本貫

日本では大宝律令制定とともに本貫制が導入された。人々は本貫地の戸籍計帳に載せられて勝手に本貫地を離れることは浮浪として禁じられていた。逃走のは3年、戸口は6年が経過すると戸籍・計帳から除かれて絶貫(本貫を持たない者)となった。その後、逃走者が発見された場合は逃亡先の戸籍に編入させられる「当所編附」、あるいは元の本貫地への強制送還させられる「本貫還附」の措置が取られた。陸奥国出羽国の本貫者には「本貫還附」が決められていた。養老4年(720年)以後は逃走者の自主的帰還(「走還」)をうながすために走還した者の課役を1年間免除する措置を取った。大学寮の学生が退学した場合は本貫に通告すること(学令)、徴発された労役者が帰還前に死亡した場合は本貫に通告すること(賦役令)、本主が死亡した帳内資人は本貫に送還すること(選叙令)、病気になって倒れた防人は本貫に送還すること(軍防令)などの規定が存在した。

鎌倉時代以降の本貫

平安時代末期以降、などの同氏同士が繁栄したため、鎌倉時代以降互いを区別する場合に氏ではなく、次第に各々が「一所懸命」に守る所領地の地名()を仮名(名字・苗字)として用い、名字を冠することは所領の相続権を意味する。これにともない名字の発祥地である「一所懸命」の地を「本貫」、「本貫の地」と称し、本貫地で祀られる神を「産土神(うぶすながみ)」と称し、本貫と書いて(うぶすな)と訓み、次第に「氏神(うじがみ)」と同意語となり、混合されて神聖視された。

主な本貫地一覧

括弧内に掲出したものは何世紀もの統廃合を経た現在の遺称地であり、当時示した範囲と完全に一致することは稀である。

陸奥国
出羽国
上野国
下野国
常陸国
上総国
下総国
武蔵国
相模国
安房国
伊豆国
甲斐国
信濃国
飛騨国
駿河国
遠江国
三河国
尾張国
越前国
越中国
越後国
美濃国
伊勢国
近江国
山城国
大和国
摂津国
河内国
丹波国
但馬国
播磨国
隠岐国
  • 隠岐氏:隠岐国(国名による)
出雲国
伯耆国
安芸国
阿波国
讃岐国
筑前国
筑後国
豊前国
肥前国
肥後国
日向国
薩摩国
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中国の本貫

本来は戸籍が置かれた場所を示し、士大夫階級にとっての本拠地であり、ほぼ出身地を示していた。動乱を経た西晋以降、籍貫はその人物の出身地とは乖離して始祖の出自を示す系譜上の意味となり、貴族制社会において同一氏族集団に属することを示した。

華僑華人の間では中国における祖先の出身地を示すものとして籍貫の語が用いられる(本籍・原籍とも)。

朝鮮半島の本貫

要約
視点
概要 本貫, 各種表記 ...

朝鮮半島における本貫(ほんかん)は、発祥を同じくする同一父系氏族集団(宗族門中)の発祥地、あるいは宗族そのものをあらわす概念である。

朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代以降、家族制度の重要な要素として社会的・法的な位置を占めた。現在も大韓民国ではとともに「本貫」に法的な規定がある。略して「」(ポン)ともいい、他に「貫郷」(クァンヒャン)などの呼び方がある。

概要

朝鮮のは約250であり、五大姓と呼ばれるなどの一部の姓に人口が集中しているため、「本貫と姓」の組み合わせによって一つの宗族が弁別される。

金姓の場合、金海伽耶(駕洛国)王族系と新羅王族系など起源の異なる宗族がある。本貫は同姓の中で異なる宗族集団を区別するための有効な手段であった。金海を本貫とする伽耶王族系の金氏の宗族集団を金海金氏という。同様に、新羅王族系の金氏を代表する慶州金氏の本貫は慶州である。

大きな姓は複数の本貫で分かれ、最大の金姓は285の本貫(宗族集団)が含まれている[1]。中小規模の姓は単一の本貫で構成されるものもある。

各氏族の持つ由緒によっては、姓や本貫を異にしていても同一の宗族と見なされる場合もわずかだがあり[2]、本貫よりも小さなグループ(派)で宗族集団を区別する金海金氏などもある。

韓洪九によると、朝鮮の姓氏の数えて約40パーセントから50パーセントの姓氏帰化人の姓氏である[3]金光林によると、朝鮮の姓氏の半分は外国人起源で、大半は中国人に起源に持つ[4]

岸本美緒宮嶋博史によると、朝鮮の一族は、中国から帰化した帰化族が相当存在し、代表的なものは慶州偰氏延安李氏南陽洪氏海州呉氏安東張氏豊川任氏咸従魚氏居昌愼氏原州邊氏などである。延安李氏南陽洪氏豊川任氏は、李氏朝鮮時代屈指の名家である。[5]

沿革

宗族を示す「本貫」の制度は、高麗時代に郡県制の下で地方の有力豪族らが実施した。朝鮮王朝(李氏朝鮮)時代に族譜の整備が進捗して社会的な家族制度の構成要素として重視され、同姓同本(姓と本貫が同一)の男女の通婚は認められなくなった(同姓同本不婚)。一部の異姓の氏族でも先祖が同じ人物である(異姓同本)可能性があり、法律上では通婚が可能であるが、氏族内部では異姓同本または同姓異本との婚姻を禁止する掟がある。典型的な例としては、金海金氏金海許氏陽川許氏安東金氏安東権氏醴泉権氏清州韓氏幸州奇氏太原鮮于氏文化柳氏延安車氏が挙げられる[6][7][8]

血統としての本貫は、李氏朝鮮後期から末期にかけて族譜の売買が行なわれて混乱した。

日本の統治下では、家族制度は「旧慣」を残し、朝鮮戸籍令に基づく戸籍に「本貫」が記載され、朝鮮民事令により同姓同本の結婚が法的に認められなかった。これらの規定は、大韓民国の戸籍制度や民法へ継承された。

韓国は、同姓同本の結婚を禁止する民法第809条第1項英語版の規定は、1997年憲法裁判所で違憲と判断された[9]。この判決後、それまで事実婚していた同姓同本の夫婦が、法律上の夫婦と同様の法的地位を得られた[10]。法律上認められたが、結婚予定の相手が同姓同本または異姓同本の場合、親族が反対する場合もある[7]

朝鮮民主主義人民共和国では、宗族制度とともに本貫は廃止されている。

本貫の編成

本貫(本貫地)は、氏族の始祖やその子孫(中興の祖中始祖と呼ぶ場合もある)が住み着いた土地や封じられた場所である。宗族の中では始祖から何代目と数えることが多い。

本貫(宗族集団)に、複数の始祖を持つものも存在する。始祖の違いや中始祖が異なる場合○○流と流派をつけて区別する。同本貫でも、明らかに異なる場合は別本貫として扱ったり本貫を変えるケースがある。金海金氏は、金官伽耶王族を祖とする本貫と、沙也可などを祖とする賜姓金海金氏、新羅王族の末裔を称して金海を本貫にした金氏(後に金寧金氏と改称した)が存在した。安東金氏も、新羅王族の末裔を称する金氏(旧安東金氏)と、高麗建国の功臣を祖とする新安東金氏がある。同じ本貫の場合は名前を付ける場合に行列字などを用いて、同じ代同士は同じ漢字を使って命名するケースも多い。

本貫や族譜は、朝鮮王朝時代の両班が自らの家系の正統性や優秀性を証明する目的があった。それゆえ、韓国における本貫の始祖として求められるのは、新羅王族系、伽耶王族系(中始祖が統一新羅に貢献した功臣)、新羅豪族・貴族系、高麗の功臣及び中国の著名な学者や武将などの渡来系が大半を占める。新羅王族の慶州金氏の系列では56代敬順王(新羅最後の王)の3男と4男の子孫が慶州金氏であり、長男の血統は絶え、次男が羅州金氏、5男が義城金氏、6男が洪州金氏、7男が彦陽金氏、8男が三陟金氏、9男が蔚山金氏と分かれている。4男の血統は更に細かく分かれ、旧安東金氏、金寧金氏などの大族を抱えている。54代景明王の子孫も長男の密陽朴氏を始めとして10以上の本貫に分かれている。

反面百済系は、旌善全氏天安全氏の系列、高句麗系は晋州姜氏ぐらいと極端に少なく、渤海系に至っては永順太氏密陽大氏のみである。中国国内を本貫とする氏族(曲阜孔氏等)や、日本国内を本貫とする氏族(島間網切氏等)も存在する。

朝鮮の主要な本貫

さらに見る 本貫, 人数 ...
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脚注

参考文献

関連項目

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