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伊藤與三郎
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伊藤 與三郎(いとう よさぶろう、1887年(明治20年)12月18日[1] - 1978年(昭和53年)5月25日)は、日本の実業家。東洋レーヨン会長や、同社社長を務めた。
人物・経歴
長野県出身[1]。1905年名古屋商業学校(現名古屋市立名古屋商業高等学校)卒業、三井物産入社。三井物産シドニー支店長、三井物産ハンブルク支店支配人[2]、三井物産大阪支店長等を経て[3]、1939年住井辰男らとともに三井物産常務取締役に就任[4]。東洋レーヨン取締役を経て、1942年東洋レーヨン会長[5]。
1943年元三井物産山西省太原出張所長の不正事件を受け、向井忠晴三井総元方理事長兼三井物産会長らとともに、三井物産常務取締役を辞職した[6]。
1944年からは東洋レーヨン社長を務め[7]、太平洋戦争中の経営にあたり、日本の降伏後、連合国軍総司令部により公職追放となった[8]。1947年、扶桑産業を設立して社長に就任[1]。1968年勲三等瑞宝章受章[9]。1978年正五位[10]。
親族
脚注
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