トップQs
タイムライン
チャット
視点
伊藤新造
日本の実業家 ウィキペディアから
Remove ads
伊藤 新造(いとう しんぞう、1937年(昭和12年)3月29日 - )は、日本の実業家。富士銀行常務取締役を経て、芙蓉総合リース、富士総合研究所社長等を務めた。
人物・来歴
東京府出身。高岳製作所取締役の伊藤啓介とみち(山岡勘一の長女)の長男として生まれる[2]。
麻布高校、東京大学法学部卒業後、1959年(昭和34年)4月富士銀行に入行[3]。富士は入行時から、将来の幹部候補を10人程度に絞って育成するが、その一人だった[1]。本郷、九段支店長等を務め、1987年(昭和62年)6月取締役に選任され人事部長に委嘱[1]、89年5月取締役本店営業第一部長に委嘱、90年5月常務に昇格する[1]。1992年(平成4年)6月、富士を離れ系列の芙蓉総合リース社長[1]、98年6月からは富士総合研究所社長を務める。2003年(平成15年)6月、富士時代の部下である町田睿が[4]頭取を務める荘内銀行の監査役に就任し、08年6月取締役となる[3]。2009年(平成21年)10月、荘内銀と北都銀行の経営統合によって金融持株会社・フィデアホールディングスが発足すると取締役を担い、16年6月に退任[5]。
Remove ads
人物
家族
脚注
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads