トップQs
タイムライン
チャット
視点
伊藤飛行機研究所
ウィキペディアから
Remove ads
伊藤飛行機研究所(いとうひこうきけんきゅうじょ)は、1915年に伊藤音次郎によって開設された民間の飛行機研究所である。研究所では、主に飛行機の設計及び製造・操縦技術など航空機に関する総合的な研究が行われていた。所属の自作機体のいくつかには日野熊蔵大尉が関わっている。
沿革
- 1912年、奈良原三次が千葉県稲毛海岸の干潟を利用して日本初の民間飛行場、稲毛飛行場を開設する。
- 1915年、伊藤音次郎が奈良原から独立し、千葉県稲毛海岸に「伊藤飛行機研究所」を設立。
- 1916年、開発した「恵美号」が民間機としては初めての帝都訪問飛行に成功。
- 1917年10月1日、高潮で稲毛の施設が壊滅。
- 1918年4月、津田沼町鷺沼(後の習志野市)に移転、「伊藤飛行機製作所」として規模を拡充。
- 1919年、開発した日本初の曲技専用機が山縣豊太郎の操縦で連続2回宙返りに成功する。
- 1921年6月に「株式会社伊藤飛行機研究所」を設立する[注釈 1]。
- 1937年、「伊藤飛行機株式会社」に名称変更。
- 1942年、日本航空工業と合併、伊藤は常務取締役となる。

Remove ads
主な出身者
- 山縣豊太郎 - 伊藤飛行機研究所第1期生。民間人初の二連続宙返りに成功するなど天才飛行士として賞賛された。
- 福永朝雄 - 第2期生。静岡県磐田郡に福長飛行機研究所を設立した。
- 藤原正章 - 第2期生。第2回極東オリンピックの自転車競技優勝者。
- 兵頭精 - 日本で初めて飛行機操縦士免許を取得した女性。
- 張徳昌
- 宮原旭
脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
Wikiwand - on
Seamless Wikipedia browsing. On steroids.
Remove ads