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佐藤與三

明治期の商工官僚 ウィキペディアから

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佐藤 與三(さとう よぞう、1843年9月16日天保14年8月23日[1]) - 没年不詳)は、明治期の商工官僚。官選群馬県知事

経歴

長門国阿武郡萩平安湖町(現萩市)に生まれる[2]

明治5年(1872年工部省五等出仕に任官。さらに鉄道助・燈台権守を務めた。1873年、燈台頭に昇進。以後、工部大書記官として、鉱山権頭、鉱山局長、内国勧業博覧会審査部長、工作局長、総務局鉱山課長、品川硝子製造所長、参事院員外議官補などを歴任[2]

1884年7月30日、群馬県令に就任[3]1886年7月19日、地方官官制改正に伴い同県知事となる。明治21年(1888年)6月限りで廃止とされた公娼について、同年5月に廃娼延期令を発布し、世論の反発を受けて廃止の期限を限るなどの妥協を行うが、県会から辞職を迫られ議会解散を行う。しかしその結果は解散前とほぼ同じ大勢となり、1891年の臨時県会で知事辞職勧告が可決された[4]。そのため、同年4月9日、知事を非職となる[5]1893年2月21日、依願免本官[6](諭旨退官[7])となり退官した。

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栄典・受章・受賞

位階
勲章等

脚注

参考文献

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