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阿武郡
山口県(長門国)の郡 ウィキペディアから
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人口2,742人、面積115.95km²、人口密度23.6人/km²。(2025年7月1日、推計人口)
以下の1町を含む。
- 阿武町(あぶちょう)
概要
平成の大合併以前は阿武町の他須佐町、田万川町、旭村、川上村、福栄村、むつみ村、阿東町の8町村が存在しており、阿東町以外の7町村は、萩市と共に萩広域市町村圏組合を作り広域行政を行っていた。その後、広域合併の枠組みとして萩市と7町村による合併協議会が設立されたが、阿武町が萩市との確執や基金の使途についての意見の相違により合併協議から離脱、単独町政を行うことを表明した。残りの川上村・田万川町・むつみ村・須佐町・旭村・福栄村が萩市と2005年3月6日に合併し、新設の「萩市」となった。
一方、阿東町は当初山口市との合併を望んでいたが、合併特例法の期間中には山口市との合併協議の場に加わることができず、当面単独町政を行うことになった。その後県が県央部における中核市構想として山口市・防府市・阿東町との2市1町での合併の枠組みを示したことにより、先行合併として山口市と阿東町の間で合併協議会が設置された。協議の結果、2010年1月16日に阿東町が山口市に編入合併する(阿東町役場を山口市役所阿東総合支所とする)ことで両市町の間で合意、合併が行われた。
経済圏としては萩市の経済圏(長北地区)に属するが、山口市に隣接する旧佐々並村・旧阿東町は山口市の経済圏(山口・防府地区)に含まれていた。
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郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、上記1町のほか、下記の区域にあたる。
長門国および山陽道で最大の面積を有する郡であった。
歴史
要約
視点
古墳時代には久米氏同族の阿武国造が治める領域であったが、律令制の施行に伴って長門国に編入された。
近世以降の沿革
町村制以降の沿革

- 明治22年(1889年)4月1日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足。特記以外は現・萩市。(1町25村)
- 萩町(萩町[7]が単独町制)
- 椿郷東分村、椿郷西分村、山田村、三見村、明木村、佐々並村、川上村(それぞれ単独村制)
- 篠生村 ← 生雲東分村、篠目村(現・山口市)
- 生雲村 ← 生雲中村、生雲西分村、蔵目喜村(現・山口市)
- 地福村 ← 地福上村、地福下村(現・山口市)
- 徳佐村 ← 徳佐上村、徳佐中村、徳佐下村(現・山口市)
- 嘉年村 ← 嘉年上村、嘉年下村(現・山口市)
- 高俣村 ← 高佐上村、高佐下村、片俣村
- 吉部村 ← 吉部上村、吉部下村
- 福川村 ← 福井上村、福井下村、黒川村
- 紫福村、大井村(それぞれ単独村制)
- 奈古村 ← 奈古村、木与村(現・阿武町)
- 宇田郷村 ← 宇田村、惣郷村(現・阿武町)
- 福賀村 ← 福田上村、福田下村、宇生賀村(現・阿武町)
- 須佐村(単独村制)
- 弥富村 ← 弥富上村、弥富下村、鈴野川村
- 小川村 ← 上小川東分村、上小川西分村、中小川村、下小川村
- 田万崎村 ← 上田万村、下田万村、江崎村
- 六島村 ← 大島、櫃島、羽島、肥島、尾島、相島
- 明治29年(1896年)
- 明治43年(1910年)7月1日 - 椿郷西分村が改称して椿村となる。
- 大正10年(1921年)5月17日 - 椿郷東分村が改称して椿東村となる。
- 大正12年(1923年)4月1日
- 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 萩町・椿東村・椿村・山田村が合併し、改めて萩町が発足。(1町23村)
- 大正13年(1924年)2月11日 - 須佐村が町制施行して須佐町となる。(2町22村)
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和7年(1932年)7月1日 - 萩町が市制施行して萩市となり、郡から離脱。(1町22村)
- 昭和15年(1940年)11月3日 - 田万崎村が町制施行・改称して江崎町となる。(2町21村)
- 昭和17年(1942年)11月3日 - 奈古村が町制施行して奈古町となる。(3町20村)
- 昭和30年(1955年)
- 平成17年(2005年)3月6日 - 川上村・田万川町・むつみ村・須佐町・旭村・福栄村が萩市と合併し、改めて萩市が発足、郡より離脱。(2町)
- 平成22年(2010年)1月16日 - 阿東町が山口市に編入。(1町)
変遷表
自治体の変遷
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行政
- 歴代郡長(第1次)
- 歴代郡長(第2次)
脚注
参考文献
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