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佐藤宣践

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佐藤 宣践(さとう のぶゆき、1944年1月12日 - )は、日本柔道家北海道函館市出身。2012年、九段に昇段。東海大学名誉教授、2016年4月より桐蔭横浜大学第三代学長。身長178cm、体重88kg。

概要 獲得メダル, 日本 ...

人物

東京教育大学卒業後、博報堂に入社。1967年世界選手権の軽重量級で優勝。その後も1969年無差別級で3位、1971年軽重量級で2位、1973年軽重量級で優勝と安定した成績を挙げた。全日本選手権においても90kg前後の体格ながら1967年1971年に準優勝、1974年優勝と好成績を残す。またサンボも経験しており、1972年のヨーロッパ選手権では優勝を成し遂げている。

現役時代は左組からの体落、大内刈を得意とした。特に寝技を得意としたことから「マムシの佐藤」の異名をとった。

引退後は全柔連IJFで理事を歴任し、IJF教育委員会委員長として1995年のIJF技名称制定[1]などの柔道教育に尽力する傍ら東海大学の教員を務め、山下泰裕柏崎克彦井上康生など10名以上の世界チャンピオンを輩出している。2007年にはアジア柔道連盟会長選に立候補するも、投票でクウェートオベイド・アル・アンジ(Obaid Al-Amzi)に敗れ落選。

2009年3月に東海大学体育学部を退任し、以降は同大スポーツ教育振興本部の本部長を務める。2012年4月28日には講道館創立130周年記念式典にて九段に昇段し、赤帯を許された[2]

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来歴

共著書

脚注

関連項目

外部リンク

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