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修身要領

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修身要領』(しゅうしんようりょう)は慶應義塾が編纂した教訓集である。正式名称は『脩身要領』。福澤諭吉の『修身要領』として知られているが、福澤が編纂したものではなく、実際には、福澤の弟子や子息が集まって編纂したものである。

概要 修身要領(しゅうしんようりょう) 脩身要領, 編集者 ...

成立

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福澤諭吉

福澤は、1898年明治31年)から『時事新報』に連載された『福翁自伝』の最後で、「私の生涯のうち出来でかしてみたいと思うところは、全国男女の気品を次第々々に高尚に導いて真実文明の名に恥ずかしくないようにすること」であると述べている[1]ように、国民の道徳を高める必要性を感じていた。しかし、同年9月26日脳出血で倒れたため、書物を執筆することが困難になった。そのため、弟子の小幡篤次郎門野幾之進鎌田栄吉日原昌造石河幹明土屋元作および長男の福澤一太郎等に命じて、新しい道徳から成る教訓集を編纂させることになった。教訓集は、福澤が『修身要領』と名づけて、『時事新報1900年(明治33年)2月25日号に発表された[2]。また、同年6月に福澤が全文を揮毫し、1901年(明治34年)7月25日に単行本が発行された[3]

内容

『修身要領』の内容は、「独立自尊」(どくりつじそん)を基本にする29ヵ条の教訓から構成される。

特徴

『修身要領』の特徴は、前書きで「徳教は人文の進歩と共に変化するの約束」と言うように、道徳が時代とともに変化すると述べていることである。そのため、『教育勅語』に反するものとして攻撃された[4]。もし道徳が時代とともに変化するのであれば、『教育勅語』や『修身要領』自体の内容も時代とともに修正・変更する必要があることになる。

脚注

書誌情報

参考文献

関連項目

外部リンク

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