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石河幹明

いしかわ みきあき ウィキペディアから

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石河 幹明(いしかわ かんめい[1][2]安政6年10月17日1859年11月11日) - 昭和18年(1943年7月25日)は、日本ジャーナリスト。新聞『時事新報』主筆、茨城県会議員。慶應義塾理事および評議員。交詢社常議員長。徳川家評議員。千代田生命取締役。

概要 いしかわ かんめい 石河 幹明, 生誕 ...

は碩果生(せきかせい)。福澤諭吉の伝記『福澤諭吉伝』全4巻を執筆し、大正版『福澤全集』全10巻、昭和版『続福澤全集』全7巻を編纂した。

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経歴

  • 1859年11月11日(安政6年10月17日)、水戸城下に水戸藩士・石河竹之助幹孝の三男として生まれる。従妹は松木直己の妻。
  • 水戸の自強舎で学ぶ。さらに師範学校内の中学予備校(茨城中学校)に進学する[4]
  • 太田小学校第三代校長(明治10年)
  • 下市小学校第五代校長(明治13年)
  • 1881年明治14年)5月1日に慶應義塾の正則に入社、さらに本科に進む。
  • 1885年(明治18年)4月から1922年(大正11年)5月まで時事新報社に勤務する[5]
  • 1923年大正12年)6月19日、慶應義塾評議委員会の委託により『福澤諭吉伝』全4巻を執筆開始。9月、「福澤先生伝記編纂所」を開設。
  • 1925年(大正14年)12月から1926年(昭和元年)にかけて『福澤全集』を刊行。
  • 1932年(昭和7年)、2月から7月にかけて『福澤諭吉伝』を出版。
  • 1933年(昭和8年)から1934年(昭和9年)にかけて『続福澤全集』を刊行。
  • 1935年(昭和10年)、3月に『福澤諭吉』を出版。
  • 1943年(昭和18年)7月25日に老衰のため自宅で没する。洗礼名はヨゼフ。多磨霊園に葬られる[2][6]
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著書

単著

編著

短編

  • 石河幹明 著「福沢先生の文章」、富田正文 編『福沢諭吉集』筑摩書房〈明治文学全集 第8〉、1966年。
  • 西田長寿 編『明治新聞人文学集』筑摩書房〈明治文学全集 91〉、1979年7月。 - 収録作品は石河幹明の仕事で公開されている。
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脚注

参考文献

関連項目

外部リンク

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