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全世界空手道選手権大会
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全世界空手道選手権大会(ぜんせかいからてどうせんしゅけんたいかい、World Open Karate Championship)は、国際空手道連盟 極真会館が主催し、ワールドゲームズの中間年に開催される極真空手の無差別級の大会である。正式名称はオープントーナメント全世界空手道選手権大会とオープン参加を謳っている。
第1回は1975年11月に東京都体育館(旧)で開催された。当初は同年3月に日本武道館で開催予定だった。1979年から87年まで武道館で開催。91年の第5回大会以降は東京体育館で行われる。ただし2019年のみ武蔵野の森総合スポーツプラザで開催。
歴代入賞者
男子
女子
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注釈
- 1971年7月2日生まれ。カナダモントリオール出身。1990年・1991年カナダ優勝。この時点でキャリア5年だが、同年の第5回オープントーナメント全世界空手道選手権大会のカナダ代表として出場。身長188センチメートル、体重128キログラムの巨漢でありながら、軽快なフットワークとサウスポーからの突き・上中下段回し蹴りで一本勝ちを奪い、勝ち上がっていった。特に岩崎達也との対戦では、岩崎の出した右上段後ろ回し蹴りに対するカウンターで左上段後ろ回し蹴りを出し、一本勝ちを奪った。その瞬間は会場が一瞬シーンとなり、大歓声が沸くほどの見事な勝利だった。準決勝では増田章と対戦。増田の左上段回し蹴りや右後ろ回し蹴りを顔面にヒットされたり、右中段回し蹴りで脇腹に攻撃を受け、正拳突きをみぞおちに決められ、下を向いて動きが止まるなど自分のペースで試合できなかったが、延長2回まで粘り、惜敗した。3位決定戦では黒澤浩樹に破れ、4位入賞を果たした。その後、1992年米国国際スーパーヘビー級優勝・1994年米国国際優勝の成績を収めた。分裂騒動が起きた時には、政治的問題に巻き込まないよう、極真会館を脱会する。その後、キックボクシングに転向し、国際大山空手道連盟に所属し、バーリトゥードやK-1などにも参戦した。
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脚注
関連項目
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