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全日本選抜スキー・ジャンプ大会
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全日本選抜スキー・ジャンプ大会は1938年と1939年に甲子園球場と後楽園球場で行われたスキージャンプの大会。野球場で行われた意外なスポーツとして話題になるのが本大会である。
概要
雪に恵まれない大都市の市民にスキー競技をアピールすることを目的に東京日日新聞社、大阪毎日新聞社と全日本スキー連盟が立案し実行した。
第1回大会[1]
1938年1月10日、甲子園球場に特設された木造のやぐらに妙高山麓から貨車30両で運ばれた雪を敷き詰めたジャンプ台で甲子園大会が開催された。
参加選手はガルミッシュパルテンキルヒェンオリンピック代表の宮島厳、関口勇ら36人であった。
最長不倒:27.0m 木村隆一、若本松太郎
続いて1938年2月27日に後楽園球場にて後楽園大会が開催された。
最長不倒:32.5m 木村隆一、野村四郎
この大会に先立って後楽園球場の外野スタンドにスロープを設けて特設スキー場とし、1月29日から31日までスキー講習会を行った。さらにその後2週間一般開放を行い延べ5000人のスキー客を集めた。
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第2回大会[2]
要約
視点
前年の成功を受け後楽園球場に最大高さ39mのやぐらが組み上げられ、1月28日、29日に2回目の大会が行われた。今回はジャンプに加えてスラローム競技も行われた。
回転競技少年組
回転競技女子組
回転競技男子組
飛躍競技
最長不倒:34.0m 龍田鳳三
本大会で使用されたジャンプ台は次のような規模であった。
- 全高 :39.0m
- 斜面全長:85.7m
- アプローチ長:33.6m
- アプローチ幅:6.0m
- 着地斜面長:52.1m
- 着地斜面幅:15.0m
続いて1939年2月18日、19日に甲子園球場にて甲子園大会が開催された。
関西組
一般組
第3回大会[3]
1950年1月28日に後楽園球場史上3回目のジャンプ大会が行われた。
脚注
関連項目
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