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冠辞考

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冠辞考
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冠辞考』(かんじこう)は、江戸時代国学者賀茂真淵の語学書。いわゆる枕詞について説いたものである[1]

概要 『冠辞考』 (かんじこう), 著者 ...

概要

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真淵は枕詞を神話との関連性から解釈する契沖の見方を排し、和歌の形式的側面から機能について考察した[2]

10巻10冊。1757年宝暦7年)に刊行したが[注 1]1764年(宝暦14年)に大改訂を施し、1765年明和2年)と1767年(明和4年)に改訂版を出した[4]

なお「冠辞」という語は、いわゆる枕詞のことで、荷田春満が使い始め、真淵のほかに荷田在満などに受け継がれた用語である[5]

内容

古事記』『日本書紀』『万葉集』などの古典から、枕詞340余(用法からの延数を含むと600に及ぶ)を五十音図で配列し、これに解説を加えている[2][注 2]。真淵は同時代の古代文献の中にある古典言語を根拠とし、後世の解釈を排したほか、表記された漢字の意味にとらわれず、直に大和言葉の意味を考えることによって、それまで理解が困難であった「冠辞」の意味を理解しようとする国学的方法論を適応した[7]。「末の意」を解くために「本の意」を知ることを必要条件としたのである[8]。内容は創見に富み、古歌の解釈や古道思想にもわたっている[4]

受容

『冠辞考』は国語学史上において「画期的な枕詞研究の書」とされる[9]。真淵の門下生の楫取魚彦は『続冠辞考』、真淵の孫弟子にあたる上田秋成は『冠辞考続貂』で補訂するなど[4]、後世に影響を与えた。

最も大きな影響を受けたのは本居宣長である。宣長は医学修行のための京都留学から帰郷して間もなく『冠辞考』を読み、初読時は全く理解できなかったが、繰り返し読むことで奥行きと懐の深さを知った[10]。『冠辞考』を手に取った時期の宣長は、契沖古典学を一通り身につけており、それによって『冠辞考』の世界が異様に見えてしまったが、知識基盤があったから『冠辞考』に沈潜する力を発揮することができたのである[11]。代表作である『古事記伝』には、『冠辞考』の説が104か所も引用されている[4]

一方で、批判的な意見も少なくない。加藤枝直田安宗武のほか、鹿持雅澄などが枕詞の注釈に対して異見を出している[9]

注解刊行本

脚注

参考文献

外部リンク

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