トップQs
タイムライン
チャット
視点

凡河内国造

ウィキペディアから

凡河内国造
Remove ads

凡河内国造(おおしこうちのくにのみやつこ・おおしこうちこくぞう・おおしかわちのみやつこ・おおしかわちのこくぞう)は、凡河内国を支配した国造

概要 凡河内国造, 本姓 ...

概要

表記

先代旧事本紀』「国造本紀」に凡河内国造とあり、その他凡川内国造大河内国造とも表記する。

祖先

  • 『先代旧事本紀』「国造本紀」では神武朝彦己曽保理命を国造に任命したとされる。
  • 『古事記』上巻では天津彦根命が凡川内国造の祖とされる。

氏族

凡河内氏(おおしかわちうじ、)。天武天皇12年(683年)にに、14年に忌寸になり、後には宿禰を与えられた者もいた。

本拠

摂津国西部または河内国中部。

支配領域

国造の支配領域は当時凡河内国と呼ばれた地域、後の河内国和泉国摂津国に相当する。ただし同国内には三野県主茅渟県主猪名県主志幾県主紺口県主三嶋県主など複数の県が置かれており、支配領域が上記三国と全く同一ということではない。

現在の大阪湾を掌握していたため、渡来人を統率し、ヤマト政権においては外交に活躍していたと思われる。

氏神

河内国魂神社か。

関連神社

子孫

脚注

参考文献

関連項目

Loading related searches...

Wikiwand - on

Seamless Wikipedia browsing. On steroids.

Remove ads