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初鹿野信興
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初鹿野 信興(はじかの のぶおき)は、江戸時代中期の旗本。江戸北町奉行。又八、伝右衛門。官位は従五位下・河内守。知行地は武蔵国土呂村など。
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略歴
依田政次の三男で、初鹿野信彭の婿養子。後妻は長田元鋪の娘。
明和8年(1771年)に家督を継承、小姓組番士となり、安永8年(1779年)、使番となり布衣を着すことを許された。天明5年(1785年)目付となり、天明7年(1787年)浦賀奉行となる。天明8年(1788年)9月10日、江戸北町奉行となり、12月16日従五位河内守に叙任された。
寛政2年(1791年)江戸地本錦絵問屋組合(東京地本彫画営業組合の前身)の結成を主導する。寛政3年(1792年)、町奉行在職のさなか48歳で没した。
婿養子・信敏(初鹿野信定三男)は失心して自殺し、養子・英信(初鹿野信照長男・書院番、使番を歴任)が家督を継いだ。
出典
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