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寛政
日本の元号 (1789-1801) ウィキペディアから
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寛政(かんせい、旧仮名遣: くゎんせい、旧字体:寛󠄁政)は、日本の元号の一つ。天明の後、享和の前。1789年から1801年までの期間を指す。この時代の天皇は光格天皇。江戸幕府将軍は第11代、徳川家斉。
改元
災異のための改元が検討されたものの、内裏の再建が優先され、実際に改元の議論が始まったのは、火災より1年近く経った天明8年12月に入ってからであった。7つの候補のうち、「寛政」と「寛安」が朝廷から推され、幕府の意向で「寛政」に決定された[1]。
出典
『左伝』の「施之以寛、寛以済猛、猛以済寛、政是以和」(寛を以て之を施す、猛を済(たす)けるを以て寛、寛を済けるを以て猛、政は和を以てす)から。
寛政年間の出来事

- 寛政の改革 : 天明7年(1787年)- 寛政5年(1793年)
- 寛政元年(1789年): クナシリ・メナシの戦い。国後島と目梨郡(現在の北海道根室振興局)のアイヌが和人商人による酷使に耐えかねて蜂起する。
- 寛政2年(1790年)
- 寛政3年(1791年): 尊号一件(朝廷が参議40人の群議で老中筆頭松平定信の意に反して光格天皇の実父典仁親王への尊号宣下を強行することを決定。朝幕対立の激化)
- 寛政4年(1792年): 島原大変肥後迷惑。眉山の山体崩壊による津波で死者15,000人以上。有史以来日本最大の火山災害[4]。
- 寛政5年(1793年): 仙台沖で寛政地震(死者44人以上)
- 寛政6年(1794年)
- 寛政10年(1798年)
- 寛政12年(1800年)
誕生
死去
西暦との対照表
要約
視点
※は小の月を示す。
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脚注
関連項目
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