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前田あさの
女性飛行士 ウィキペディアから
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前田 あさの(まえだ あさの、1905年〈明治38年〉11月 - 1979年〈昭和54年〉11月18日)[1]は、大正末期から昭和初期にかけて活動した日本の女流飛行家草分けの一人。結婚後の氏名は龍 あさの(りょう あさの)[注釈 1]。
経歴
奈良県山辺郡福住村(後の天理市)で農業を営む前田徳蔵の二女として生まれる[1]。修斉尋常高等小学校卒業[1]。
1923年(大正12年)3月、17歳の時[3]に飛行家になることを目指し、家族の猛反対を押し切って上京する。東京蒲田にあった相羽有主催の日本自動車学校航空科に入校。生徒20人中女性は2人で、あさのは最年少であった[1]。学校の雑用などをこなしながら勉学に励んだ[3][4]。
1924年(大正13年)9月7日には賀陽宮恒憲王が日本飛行学校を訪問。教官の小川寛爾一等飛行士と熊川良太郎二等飛行士、そして女流の前田あさの練習生、以上の3名が御前飛行を行った。あさのは一番手で飛び立つと、アブロ式複葉機で高度約500mの上空を一周している[5]。
1925年(大正14年)12月14日[6][注釈 2]、逓信省の試験に合格し、三等飛行機操縦士免許を取得[8]。日本で4人目の女性パイロットとなる[注釈 3]。
その後は郷里に帰って民間航空会社に勤め[3]、1928年(昭和3年)には二等飛行機操縦士免許を取得したとされる[3][注釈 4]。地元新聞社である大和日報社の社機で祝賀飛行を行ったり、ビラ撒きを行ったりした[7]。なお当時、航空機による旅客輸送に必要な一等飛行機操縦士免許[注釈 5]の門戸は女性に開かれていなかった[9]。
1930年(昭和5年)には「父親への恩返し」のためとして山辺郡丹波市町(後の天理市)下仁興の龍義治[1]に嫁ぎ、航空界から引退。以後は農業に専念し、6人の子を育てた[4]。
1976年(昭和51年)、大正期を舞台にパイロットを目指す女性を描いたNHK連続テレビ小説『雲のじゅうたん』が放送されると、あさのもモデルの一人ではないかと注目された[8]。取材の際に「生きているうちにもう一度立川の空を飛んでみたい」との発言があり、同年8月下旬に招かれて立川市(かつて飛行訓練を行った立川飛行場が所在した)を訪問[4]。ヘリコプターで立川の空を一周し「人間が空を飛ぶ時は風が体に当たらないと実感が出んわ」との感想を残している[10]。
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備考
- 俳優の龍ともこは孫[2][11]。
- 『naranto(ナラント) 2011年版』(エヌ・アイ・プランニング)の特集記事「幕末から昭和を駆け抜けた「おんな」の人生 大和おんな偉人伝」があさの(記事では「アサノ」と表記されている)を取り上げ、家族に取材している[4]。
脚注
参考文献
関連項目
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