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福住村 (奈良県)
日本の奈良県山辺郡にあった村 ウィキペディアから
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福住村(ふくすみむら)は奈良県北西部、山辺郡に属していた村。現在は天理市の東部、名阪国道福住インターチェンジ付近。
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地理
歴史
前近代
古代には闘鶏(つげ)国造の領域[2]。『延喜式』に記載された都介(闘鶏)氷室があり[2]、この氷室をめぐる神社として氷室神社がある。この氷室は『日本書紀』仁徳天皇62年条によれば、額田大中彦皇子が猟の際に発見したとされている。
中世に「福須美庄」という地名が現れるようになるが、由来は不明である[1]。中世には、福住に福住氏(福住中定城、福住井之市城を構えた)、山田に山田氏が勢力を有した。戦国期、山田岩掛城主の山田道安(山田順貞)は、東大寺大仏殿の戦いで被害を受けた東大寺大仏の修復に寄与した人物で[2]、画家としても知られる[2]。
近代
行政区画・自治体沿革
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名所・旧跡・祭事
教育
交通
- 主要地方道田原本上野線
人物
おもな出身者
脚注
関連項目
外部リンク
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