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前田一球・写楽

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前田一球・写楽(まえだいっきゅう・しゃらく)は、かつて吉本興業に所属していた漫才コンビ。

概要 前田一球・写楽, メンバー ...

概要

1976年前田五郎の弟子同士だった前田一球と初代・前田写楽で"初代・前田一球・写楽"結成するも、目立った活躍なく1年程で解散[1]

1978年2月、吉本新喜劇の座員だった浜田良典(後の二代目・前田写楽)と"二代目・前田一球・写楽"を結成[1]

1980年、NHK上方漫才コンテスト・ABC漫才・落語新人コンクールといった在阪局主催の新人賞レースで賞を受賞、毎日放送の「ヤングおー!おー!」にて村上ショージ岡田祐治前田犬千代・竹千代Wパンチらと共に「パッパラパーズ」に抜擢、漫才ブーム以降の吉本興業の若手漫才師として松みのる・杉ゆたか横山アラン・ドロン伊豆あすか・奄美きょうかなど注目漫才師の筆頭として活躍するも、1982年吉本総合芸能学院の開校、1986年心斎橋筋2丁目劇場などでダウンタウンハイヒールトミーズなどの次世代の漫才師の登場により1988年解散。

メンバー

前田一球1953年10月24日 - )本名は広瀬義政[2]

愛媛県の生まれ、愛媛県立伯方高等学校卒業後、1974年前田五郎に入門[2]

前田写楽2代目(1953年11月20日 - )本名は浜田良典[1]

写楽は2代目を数える。初代は1年ほどの活動で短期間だったので詳細不明。一般的によく知られているのは2代目。
大阪府の生まれ、大阪芸術大学卒業後、1976年から花月の進行役から2年間吉本新喜劇に本名で出演[1]。1976年2月よりコンビを組む[1]島田紳助率いる「紳助バンド(SHINSUKE-BAND)」のドラムで参加していたこともある。(後に脱退)
後に前田りょうてんに改名している。妻は宗右衛門町でスナック「気楽」を経営している。2008年11月9日ワッハホールにて歌手の森千紗花の舞台「新世界歌謡道Ⅲ 風にさすらう親子草」に出演。
2011年7月20日、前田写楽の名前で吉本新喜劇に入団(事実上の復帰)。芸名もしゃーやんと名乗っている。
2014年の8月29日の新喜劇特番にて髪を金髪に染め上げる。
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受賞歴

出演番組

脚注

参考文献

外部リンク

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