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功子内親王
平安時代後期の皇族。高倉天皇の長女。高倉天皇朝の伊勢斎宮 ウィキペディアから
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功子内親王(こうし(ことこ/いさこ)ないしんのう、安元2年3月30日(1176年5月10日) - 薨年不詳)は、平安時代後期の皇族。高倉天皇第1皇女。母は帥局(藤原公重の女)。高倉天皇朝の伊勢斎宮。
略歴
彼女の母は右近衛少将藤原公重の娘で、帥局[1]と号した。高倉天皇が幼少の際、その「御乳人」を務め、乳母の妊娠について三条公房と顕広王はそれぞれの日記で「是神令然欤」「頗以所奇欤」と評している[2]。
治承1年(1177年)10月28日[3]、彼女は内親王となり、同日に伊勢斎宮に卜定された。同年11月9日、朝廷は伊勢太神宮へ奉幣使を派遣し、斎宮卜定の由を奉告した。
治承2年(1178年)1月1日、歯固の儀があったが、戴餅の儀は行われなかった[4]。同年一本御書所へ初斎院入り。同年9月13日、東河で禊[5]を行った後、野宮に入った[6]。
治承3年1月11日、母の死去により群行せず野宮を退出した[7]。
前年(1178年)に外祖父公重が逝去した際、彼女は軽服を着用したものの野宮退出はせず、中山忠親はこの一連の事態を「神慮尤可恐事也」と評している。
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参考文献
- 山中智恵子『続斎宮志』砂子屋書房、1992年。 ISBN 4-7904-9221-4
- 芳賀登ほか監修『日本女性人名辞典』日本図書センター、1993年。
- 角田文衛監修『平安時代史事典』角川書店、1994年。
脚注
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