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加藤外松
日本の外交官 ウィキペディアから
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加藤 外松(かとう そとまつ、1890年(明治23年)3月1日[1] - 1942年(昭和17年)2月12日)は、日本の外交官。元駐フランス特命全権大使。
人物・経歴
富山県高岡市木町出身[2]。1911年神戸高等商業学校(現神戸大学)卒業[3]。高等文官試験外交官及領事官試験に合格し、1914年ニューヨーク領事官補[4]。在フランス外交官補[5]、外務省欧米局第二課長、在中華民国公使館一等書記官、天津総領事等を経て[4]、1935年駐カナダ特命全権公使[6]。1941年から駐フランス特命全権大使を務め、ヴィシー政府のフランソワ・ダルラン副首相と会談するなどして、南部仏印進駐の承認を得た[7][8]。1942年2月11日深夜、パリの日本大使館で呼吸困難になり、窓を開けて外気に触れようとした際に眩暈を起こして庭に転落、病院に搬送されたが間もなく死去した[9][10]。
栄典
- 1940年(昭和15年)8月15日 - 紀元二千六百年祝典記念章[11]
著書
- 『欧米事情:外事講習パンフレツト 1』警察協会福岡支部 1925年
脚注
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