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加賀美嘉兵衛 (11代)

明治期の実業家、政治家 ウィキペディアから

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11代 加賀美 嘉兵衛(かがみ かへえ、1861年10月2日(文久元年8月28日[1]) - 1933年昭和8年)4月9日[1][2])は、明治期の実業家政治家衆議院議員。旧名・平八郎。

経歴

甲斐国八代郡南八代村[1]山梨県[2]東八代郡南八代村、八代村[3]八代町を経て現笛吹市)で、豪農・10代加賀美嘉兵衛の長男として生まれる[1]。英学、漢学を修めた[2]

父とは政治姿勢を異にし自由民権運動に加わる[1]。民権派機関紙『峡中新報』の株主総理として経営を行う[1]。1888年(明治21年)山梨県会議員に選出され2期在任し[1]、同参事会員、地方衛生会員、東八代郡会議員なども務めた[2]

1892年(明治25年)2月、第2回衆議院議員総選挙(山梨県第3区、無所属)で初当選し[1][4]、その後、第4回総選挙まで再選され、衆議院議員に連続3期在任した[1][2][3]

実業界では、葡萄酒醸造会社取締役、興工社取締役、勧農社取締役、済通社取締役、駿甲鉄道取締役、峡中日報社長、山梨土木社長、奥商銀行副頭取、山梨農工銀行頭取などを務めた[1][2][3]

国政選挙歴

脚注

参考文献

関連項目

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