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北方町猟銃殺人逃走事件
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北方町猟銃殺人逃走事件(きたかたちょうりょうじゅうさつじんとうそうじけん)は、1996年(平成8年)10月17日に宮崎県東臼杵郡北方町(現・延岡市)卯で発生した猟銃による殺人事件。事件の加害者となる男A(当時45歳)が知人男性を猟銃で殺害したのち、実子2人を乗せて北方町から西都市方面へと逃走を図った[1]。最終的に6時間後、同県川南町の宮崎県道40号都農綾線にて県道を封鎖していたパトカーに衝突したことで警察側に身柄を確保された[1]。
概要
1996年(平成8年)10月17日午前6時15分頃、北方町在住のタクシー運転手の男A(当時45歳)が[2]、北方町卯在住の土木作業員の男性(当時59歳)の自宅に侵入し、男性宅にいたAの妻と口論になり、その際仲裁しようとした男性を猟銃で射殺した[2][3]。Aには妻がいたが当時Aによる家庭内暴力が原因で、妻はスーパーマーケットの同僚のパートの女性を伝って男性方の家に匿って貰っていた[2]。Aはその後男性の妻を猟銃で殴打したのち、午前7時頃、現場からおよそ2km離れたガソリンスタンドに立て籠もり猟銃を乱射した[2]。その際に通報で駆け付けた警官にも発射し負傷させている[2]。Aは男性の車に当時小学生だった自分の2人の子供を乗せて国道10号より宮崎市方面へ逃走した[2]。
宮崎県警は900人を動員し、捜査員はAの逃走を阻止するために、発生地から南へ25キロ離れた門川町にて車両で阻止線を設けるも、AはUターンし脇を通り抜けられ一般道を経由したのち再び国道に入った[4]。捜査員は再び都農町川北の都農神社附近[5]でも阻止線を設け、Aから猟銃を奪うもガードレールを突き破られ捕らえることに失敗し[4]、Aはその時取り囲まれた際に警官から太ももにライフル銃を受けたため全治二週間の怪我を負った[6]。最終的にAは約6時間もの間逃走を続け、川南町の宮崎県道40号都農綾線にて封鎖中のパトカーに衝突し公務執行妨害と銃刀法違反の容疑で現行犯逮捕された[6]。車に乗っていた2人の子供は無事であった。県警はAが宮崎市内に入る事態も想定していた[7]。10月19日、男は男性に対する殺人容疑で再逮捕された[3]。
国道10号はAが逃走している間も幹線道路である事情から封鎖することはなかった[4]。また、追跡による捜査員のライフル弾の流れ弾が国道沿いのドライブインと民家から発見されている[8]。
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刑事裁判
Aは1991年(平成3年)10月に猟銃所持の許可を受け、延岡市内の猟友会に所属していた[4]。
Aは取り調べに対し、「宮崎市内の妻の実家に子供を預けた後、身の始末をする予定だった。」と供述し、「大騒ぎを起こしてしまい、申し訳なかった。」と謝罪している[6]。また、事件の際には実弾50発を持ち、内36発を警官に対し放ったことが明らかになっている[9]。11月9日、Aは宮崎地検延岡支部から殺人と銃刀法違反で起訴され[10]、11月29日には捜査員に対する殺人未遂罪で追起訴された[11]。Aは容疑を認め[12]、検察側は無期懲役を求刑し[13]、1998年(平成10年)2月19日、Aに対し懲役20年が確定した[14]。
反響
テレビ局は一連のカーチェイスを撮影しており、犯人が逃走するとともにカーチェイスを繰り返す様子が中継報道された[15]。そしてその映像は米国や英国を中心とした海外でも報道されることとなった[15][16][17]。
関連項目
- 日本における銃犯罪一覧
- 中野市4人殺害事件 - 本事件の加害者と同様に猟銃の所持が許可されていた。
- カーチェイス
脚注
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