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北条忠時 (金沢流)
鎌倉時代の武士、金沢流北条氏 ウィキペディアから
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北条 忠時(ほうじょう ただとき)は、鎌倉時代末期の武将。金沢流北条氏の出身で、第15代執権北条貞顕の嫡男である北条貞将の長男。弟に淳時がいる。
元弘3年/正慶2年(1333年)5月、新田義貞が鎌倉に攻め込んだ。『太平記』巻十にある「鎌倉合戦の事」によれば、忠時は化粧坂の守備についたとされ、その軍勢を3万余騎としている[1]。その後、父貞将と共に自害したという(「北条氏系図」)[2]。
脚注
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