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正慶

日本の元号 ウィキペディアから

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正慶しょうきょうしょうけい)は、日本元号の一つ。持明院統(後の北朝)方で使用された。元徳の後、元弘の前。正慶元年/元弘2年(1332年)の4月28日(西暦5月23日)から正慶2年/元弘3年(1333年)の5月25日(西暦7月7日)までの期間を指す。この時代の天皇は光厳天皇であるが、先帝の後醍醐天皇は皇位継承を否定していた。鎌倉幕府将軍は守邦親王執権北条守時

改元

元徳3年8月9日ユリウス暦1331年9月1日)、後醍醐天皇は「元徳」から「元弘」へと改元した。しかし、後醍醐天皇が倒幕を企てると、鎌倉幕府は改元を認めず「元徳」を使い続けるとともに、9月20日10月22日)には皇太子の即位を要請して、光厳天皇が即位した。翌年、後醍醐天皇は隠岐に流され、元弘2年4月28日1332年5月23日)、光厳天皇は正慶に代始改元した。出典は『易経』益卦の注「以 中正有慶之徳 、有 往也、何適而不 利哉」[1]。勘申者は菅原公時菅原長員[2]

しかし、正慶2年/元弘3年(1333年)、後醍醐天皇が還幸して鎌倉幕府は滅亡した。5月25日7月7日)に光厳天皇は退位し、正慶の元号は廃された。その翌年の元弘4年1月29日(1334年3月5日)には建武へと改元された。後醍醐天皇はこのとき、光厳天皇の即位と「正慶」の元号の無効を宣言した。

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西暦との対照表

※は小の月を示す。

さらに見る 正慶元年(壬申), 一月 ...

出典

関連項目

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