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十二諸侯年表
『史記』の十四巻。春秋諸侯の年表 ウィキペディアから
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十二諸侯年表(じゅうにしょこうねんぴょう)は、司馬遷の『史記』の十四巻で、十三巻の第一表「三代世表」と十五巻の第三表「六国年表」との間にある、西周の共和元年(前841年)から東周の敬王四十三年(前477年)までの周王朝と、魯・斉・晋・秦・楚・宋・衛・陳・蔡・曹・鄭・燕・呉の十三諸侯の年表である。
名称をめぐる論争
十二諸侯年表には、周を除くと十三の諸侯国が記載されているが、年表は「十二諸侯」という名前で、どの諸侯国を除いたのかについて、呉説、秦説、魯説などの異なる学説がある。
呉説によると、十二諸侯には呉が含まれておらず、呉が四夷であり、この時期の末期に台頭したため、司馬遷はこれを除いて十二諸侯としたとする[1]。秦説によると、後に国を統一した秦は特殊な地位にあったため、十二諸侯には秦を含まなかったとする[2]。魯説によると、十二諸侯には魯が含まれておらず、年表で魯は周の次に位置しているため、十三諸侯の筆頭とされているが、これは「春秋」を作った魯の孔子を独尊するためとする[3]。
年表収録諸侯
以下、年表順(周を除く):
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脚注
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