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十和田市

青森県の市 ウィキペディアから

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十和田市(とわだし)は、青森県南部地方、内陸部に位置する。県内では第4位の人口を有しており[1]、上北地域の中心都市である[2]。旧上北郡。十和田湖奥入瀬渓流といった景勝地で知られ、十和田八幡平国立公園(十和田・八甲田地域)を構成している[3]

概要 とわだし 十和田市, 国 ...
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奥入瀬渓流
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十和田市の中心部・官庁街通り。写真奥が十和田湖方面(2019年4月に市役所展望台から撮影)
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概要

現在の十和田市は、2005年1月1日に隣り合っていた(旧)十和田市と十和田湖町が新設合併して誕生した。

青森県内の40市町村のうち、青森市八戸市弘前市に次いで第4位の人口を有し、面積はむつ市、青森市に次いで第3位の広さである[2][4]

市西部に八甲田山十和田八幡平国立公園があり、特に十和田湖や奥入瀬渓流が有名。産業面では農業が盛んで、ニンニクの市町村別の生産量では日本一を誇る[5]

上北地域を主に管轄する国や県、企業の出先機関が置かれており、十和田都市圏を形成する。2012年10月からは、周辺の9市町村と「上十三・十和田湖広域定住自立圏形成協定」を締結し、三沢空港自衛隊基地などを有する三沢市とともに共同中心市となっている。

近年は「アートの街」を掲げ、十和田市現代美術館を核に一体的なまちづくりを進める[2]。中心市街地は碁盤の目状に整然と区画された方格設計である。特に戦後に整備された「官庁街通り」は道に沿ってソメイヨシノなどが植樹されており、市民の憩いのスポットとなっている[6]

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地理

要約
視点

居住

人口約6万人の半数以上は、東部の市街地(三本木地区)に住む。市街地は、三本木地区に東西に約4km、南北約4kmの大きさで展開しており、市街地の南北を旧国道4号が、東西を国道102号が貫いている。その他の人口は、奥入瀬川の川沿いや点在する集落に住む。

地形

市の北西部は八甲田山の山麓である。青森市との境には、乗鞍岳などの南八甲田連峰がそびえ、青森市側の田代平から続く牧場が広がっている。谷地・猿倉・蔦・焼山といった温泉が点在する。市の南西部も山地であり、主なものはカルデラ湖である十和田湖、その外輪山である御鼻部山十和田山である。

なお、十和田湖面上の県境は1871年の廃藩置県以来、長らく未確定だった。2008年8月29日に青森市で開かれた北海道・北東北知事サミットで、湖面を青森県6:秋田県4の割合で画定することが決まり、同年12月25日の官報告示により137年目にして県境が定まった[7][8]。(詳細は「十和田湖」を参照)

十和田湖の水が唯一流れ出る奥入瀬川は、十和田湖東岸の子ノ口(ねのくち)から北東に流れる。約20km北に位置する八甲田山麓などからの水も奥入瀬川に流れ込む。

奥入瀬川において、子ノ口から焼山(十和田市法量(大字)焼山(字))までの約14kmを奥入瀬渓流と呼ぶ。

市の中部から東部、さらに隣の六戸町へと平坦な三本木原が広がる。三本木原は、奥入瀬川が流した土砂や八甲田山からの火山灰が積もって作られた洪積平野である。奥入瀬川は三本木原の南縁をさらに削って東へ流れており、三本木原へ上水するために新渡戸傳が開いたのが、人工河川である稲生川である。市の北東部には、砂土路川が北東に流れている。市の南東部は東西へ伸びる丘陵地であり、丘と丘との谷間を後藤川などが流れる。

気候

 十和田市は、最も暑い8月の平均気温が22℃をわずかに上回ることから、ケッペンの気候区分では温暖湿潤気候(Cfa)と西岸海洋性気候(Cfb)の境目にあたる。北海道ほど寒くはないが、稲作が容易でない気温でもある。降雨は、夏に多く冬に少ない。

一方十和田湖の湖畔にある休屋は、最も寒い1月の平均気温が-3℃を下回ることから、ケッペンの気候区分では亜寒帯湿潤気候(Dfb)に分けられる。

十和田湖町以外では八甲田山の東に位置するため、太平洋側気候で雪はやや少ない。それでも2月には50cm程度の積雪になり、豪雪地帯である。一方、旧十和田湖町では雪が多くなり、特別豪雪地帯で日本海側気候である。八甲田山から吹きつける寒冷な北西風は、八甲田おろしと呼ばれる。5月・6月には晴天が続くが、土ぼこり混じりの強風が西から吹くことがある。新渡戸傳が開拓にあたり防風林を設けたのも、西からの強風を防ぐためという。また、数年から十数年に一度は、7月・8月に偏東風(やませ)がゆるゆると流れる年がある。そのような年は、蒸し暑く感じる日もカラッと晴れる日も稀で、薄暗い曇り空の日々が続き、しとしとと雨の降る日が偶にあり、米の収穫量はめっきり減る。11月にはが降り、12月には雪が降る。

さらに見る 十和田観測所(十和田市東十六番町)(1991-2020年)の気候, 月 ...
さらに見る 休屋観測所(十和田市奥瀬)(1991-2020年)の気候, 月 ...

隣接している自治体

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歴史

要約
視点

もともと十和田市のあたりは三本木原と呼ばれる荒蕪の台地で、台地周辺に寒村が点在していた。荒漠たる原野の様子は、1785年(天明5年)にこの地を訪れた橘南谿の『東遊記』に記されており、吉田松陰が『東北遊日記』のなかで荒野であると評している[9]

開拓が始められたのは、1855年安政2年)のときで、南部藩勘定奉行の職を辞して、「無益の荒野」に開拓構想とロマンを追い続けた、新渡戸稲造の祖父の新渡戸傳(にとべつとう)を中心に始められた[9]奥入瀬川から水を引く計画に着手し、延長1万1362 mのトンネル、陸堰を貫通して、安政6年(1859年)5月4日に人工河川稲生川(いなおいがわ)を完成させて引水に成功し、開拓の基礎ができた[9]。さらに、傅の長男である新渡戸十次郎によって、市街地の開発が進められた。碁盤目状の都市計画は京都を模範としたもので、上杉流兵法に基づく設計と努力によって、現在のような市街地の形が作られていった[9]

明治期には稲吉地区に、渋沢栄一の三本木渋沢農場が開拓され、現在の福島県伊達市等からの入植者が自治を形成し、農業林業と牧畜業の経営を進めた。

1885年明治18年)に陸軍が軍馬局出張所を設置(1896年(明治29年)に軍馬補充部三本木支部と改称)したことから、馬産が栄えた。同市の農事試験場(農林水産省黒石農事改良実験所藤坂試験地。後の青森県産業技術センター農林総合研究所藤坂稲作部。2019年4月に廃止)で開発され、1949年昭和24年)から普及段階に移された稲の品種「藤坂5号[10]」は非常に冷害に強く、やませが吹くために夏が冷涼なこの地域で急速に広まり、現在のような穀倉地帯になった。現在「藤坂5号」そのものはほとんど栽培されていないが、その遺伝子は多くの稲の品種に組み込まれている。2021年現在で栽培されている品種では、「ひとめぼれ[11]」は「藤坂5号」の玄孫であり(父親の「初星[12]」は「藤坂5号」の曾孫)、「あきたこまち[13]」は来孫(父親の「奥羽292号[14]」は「藤坂5号」の玄孫)である。

沿革

概要 とわだし 十和田市, 廃止日 ...
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三本木市時代の市旗
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三本木市時代の市章

日本三大開拓地

中心市街地がある三本木地区の開拓は、旧農林省によって、福島県西白河郡矢吹町宮崎県児湯郡川南町とともに国営開拓事業の成功例として「日本三大開拓地」と称された。2002年からは3市町の間で交流事業が始まり、現在まで小学生の相互派遣などが行われている[21]

  • 青森県十和田市の三本木原開拓地
  • 宮崎県川南町を中心とする川南原開拓地
  • 福島県矢吹町の矢吹ヶ原開拓地
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行政

庁舎

  • 十和田市役所庁舎

市長

  • 櫻田百合子(2025年1月30日就任、1期目)
    • 前職:十和田市議会副議長

旧・十和田市

  1. 水野陳好1955年3月 - 1956年10月、(三本木市長))
  2. 小山田七次郎(1956年10月 - 1968年10月、3期(以後、十和田市長))
  3. 中村亨三(1968年10月 - 1976年10月、3期)
  4. 洞内徳蔵(1976年10月 - 1980年10月、1期)
  5. 中村亨三(1980年10月 - 1992年10月、3期)
  6. 水野好路(1992年10月 - 1998年6月、2期目途中で死去)
  7. 中野渡春雄(1998年7月 - 2004年12月、2期目途中で合併)

現・十和田市

  1. 中野渡春雄(2005年1月 - 2009年1月29日)
  2. 小山田久(2009年1月30日 - 2025年1月29日)
  3. 櫻田百合子(2025年1月30日就任、1期目)

議会

市議会

  • 定数:22人
  • 任期:2023年1月1日 - 2026年12月31日
  • 議長:石橋義雄

県議会

  • 定数:2人
  • 選挙区:十和田市選挙区
  • 任期:2023年4月30日 - 2027年4月29日
さらに見る 議員名, 会派名 ...

衆議院

さらに見る 当落, 候補者名 ...
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国・県の機関

県の機関

  • 上北地域県民局
    • 地域連携部
    • 県税部
    • 地域健康福祉部
      • 保健総室(上十三保健所)
    • 地域農林水産部
      • 十和田家畜保健衛生所
    • 地域整備部
  • 青森県産業技術センター内水面研究所

国の機関

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十和田奥入瀬合同庁舎

司法機関

姉妹都市・提携都市

国内

海外

教育

大学

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北里大学十和田キャンパス(獣医学部)

高等学校

県立

閉校した学校

中学校

県立
市立

小学校

市立

学校教育以外の施設

職業訓練施設
  • 十和田職業能力開発校(認定職業訓練施設)
  • ヘアーメイク・アーティスタースクール(認定職業訓練施設)
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経済・産業

要約
視点

平成31(2019)年度 十和田市データブック によると、15歳以上の就業者数は31,098人で第1次産業12.2%、第2次産業21.9%、第3次産業61.9%(2015年10月1日時点)。十和田市を中心市とする都市雇用圏を形成している。

主な企業・事業所

商業

十和田市は人口約6万人ながら青森県でも有数のスーパーマーケットの激戦区であり[24]、流通大手のイオン系や地元資本の店など10数店が競う。

市中心部の商店街は多くの地方都市と同様に空洞化が顕著である一方、幹線道路沿いにドラッグストアや家電量販店、衣料品店など大型店が多く出店している。

2002年7月には相坂地区に十和田南ショッピングセンター、2005年9月には十和田バイパス沿いにイオン十和田ショッピングセンター、2006年3月には十和田観光電鉄本社跡地に十和田元町ショッピングセンターが開業した。

東五番町にはアクロスプラザ十和田南が立地。2016年11月には、前述の十和田元町SCの近隣である旧十和田市駅(とうてつ駅ビル店)跡地にユニバース十和田東ショッピングセンターが新設され、7店舗が集積している(十和田観光電鉄#スーパーマーケット事業も参照)。

かつては商店街に2つのデパート(十和田松木屋、ジョイフルシティ十和田亀屋)が立ち並んでいたが、近郊の市町村に大型店が開店したことや、不況の煽りから客足が次第に減っていった。1999年8月に松木屋が、2000年3月に亀屋がそれぞれ閉店。松木屋跡は、1階部分がセリアなどが入居する「まちの駅」になったが、再開発に伴い2010年に閉鎖、建物は取り壊された。亀屋跡については、商工会議所の要望で2000年5月に1階部分に100円均一のスーパーマーケット「タートルズプラザ十和田亀屋」が開店したが、経営していた亀屋みなみチェーンが2001年に経営破綻し、同年11月に閉店した。その後2006年8月に建物が解体され、2022年4月にバスターミナル「十和田市まちなか交通広場」が設置され供用開始した。

農業

2015年の農林水産省市町村別統計データによると、十和田市では米や野菜、畜産物がバランスよく生産されており、県内有数の生産量を誇る作物が多いことが特徴。特にニンニクの市町村別の生産量は、日本一を誇る。

十和田市の経営耕地面積は、10,000ha(2005年農林業センサス)と総面積の14.5%を占め、人工河川「稲生川」の導水による三本木原開拓以来、主に稲作を中心に発展してきた。一戸当たりの経営面積は3.3ha(2005年農林業センサス)と比較的大規模で、水稲、野菜、畜産などを組み合わせた複合経営の多い。

水稲については、旧十和田市地区では「まっしぐら」、旧十和田湖地区では「つがるロマン」を中心に米作りが行なわれている。一方、1970年(昭和45年)以降の生産調整(減反)により、現在では市内の水田の約半分が転作となり、牧草などの飼料作物や小麦、大豆、ソバ、野菜類などが作付けされている。また、十和田市を含む青森県南地域では、梅雨のころに太平洋側から吹く冷涼な偏東風(やませ)が、しばしば農作物に悪影響を及ぼし、特に、1993年(平成5年)には皆無作という大冷害となった。

野菜は生産量日本一のニンニク(2009年、東北農政局[25])、長ネギ、ナガイモ、ゴボウなどが県内有数の産地となっている。また、土壌診断を行って土作りにこだわり、出荷時には糖度や硝酸値の厳しい基準をクリアした安全な「ミネラル野菜」の生産に取り組んでいる。果樹では、近年新たな特産物としてブルーベリーの栽培が増加しており、観光摘み取り園も開設されている。

十和田市では農家がそれぞれの経営条件を活かして多様な作物を作付けしており、今後は農産物のPRや販路の拡大、新たな農産物加工品の開発などにより、産地力の強化を目指している[26]

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地域

要約
視点

人口

青森県内40市町村のうち第4位に多い人口を有する。平成27年国勢調査より前回調査からの人口増減をみると、4.06%減の63,429人であり、増減率は県下40市町村中7位。

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十和田市と全国の年齢別人口分布(2005年) 十和田市の年齢・男女別人口分布(2005年)
紫色 ― 十和田市
緑色 ― 日本全国
青色 ― 男性
赤色 ― 女性
十和田市(に相当する地域)の人口の推移
1970年(昭和45年) 59,719人
1975年(昭和50年) 63,066人
1980年(昭和55年) 67,050人
1985年(昭和60年) 69,106人
1990年(平成2年) 68,097人
1995年(平成7年) 69,146人
2000年(平成12年) 69,630人
2005年(平成17年) 68,359人
2010年(平成22年) 66,110人
2015年(平成27年) 63,429人
2020年(令和2年) 60,378人
総務省統計局 国勢調査より

警察

  • 青森県警察十和田警察署
    • 中央交番、東交番、相坂駐在所、洞内駐在所、米田駐在所、奥瀬駐在所、焼山駐在所、十和田湖駐在所

消防

公共施設

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十和田市立中央病院

スポーツ施設

市内では主に馬術、相撲、サッカーが盛んで、1977年(昭和52年)のあすなろ国体では、これらの競技会場に選ばれた[15]。たびたび全日本大学選抜相撲全国高等学校相撲選手権大会の会場となっているほか[28]サッカーJ3ヴァンラーレ八戸」が、2013年の東北社会人リーグ時代からホームタウンのひとつに登録している[29]

マスメディア

市内に店舗を持つ金融機関

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郵便

直営郵便局

  • 焼山郵便局(84194)
  • 陸奥沢田郵便局(84206)
  • 切田郵便局(84230)
  • 十和田穂並町郵便局(84239)
  • 十和田西二十二番郵便局(84264)
  • 十和田大学前郵便局(84273)
  • 十和田元町郵便局(84280)

簡易郵便局

  • 滝沢簡易郵便局(84731)
  • 八郷簡易郵便局(84761)

交通

要約
視点

十和田市は約6万人と少なくない人口で、また東京都区部(627.57 km2)より広い面積を持つが、県内10市では唯一、鉄道駅がない。高速道路上北自動車道が市域もわずかに通るのみで市内にインターチェンジが設置されていない。十和田観光電鉄廃止以降、JTB時刻表における市の中心駅は、十和田市中央(バス停)である。

市中心部は下田百石IC百石道路第二みちのく有料道路)から車で約30分、東北新幹線JR東日本)の七戸十和田駅および八戸駅からは車やバスで約20~40分、三沢空港からはタクシーで約40分の距離である。市内の観光ホテルや旅館によっては、近隣駅からの送迎サービスを行う施設がある。

市内の公共交通は路線バスが中心だが、周辺市町村への幹線道路(一般国道・県道)や市街地の道路が比較的密に整備されており、自家用車があれば生活に特に不便はない[31]

東北自動車道十和田ICやJR花輪線十和田南駅は、十和田湖を挟んで対極の秋田県鹿角市にあるため、青森県外から訪れる場合は注意を要する。

空港 

最寄の空港

鉄道路線

  • 現在、市内に鉄道駅はない。
最寄の鉄道駅

かつて存在した鉄道路線・駅

バス路線

2022年4月1日亀屋跡地にバスの拠点として「十和田市まちなか交通広場」がオープンしている[32]

西地区シャトルバス

  • 十和田市中央 - まちなか交通広場 - 市役所 - カケモ西金崎店 - 三日市 - 新屋敷 - 沢田悠学館 - 奥入瀬ろまんパーク構内 - 法量
    • 1日3往復。
    • 運行委託 : 東京太陽(株)青森タクシー十和田営業所[35]
    • 車両: 十和田市が保有するジャンボタクシー車両(日産・キャラバン)を使用[36][37]

東地区シャトルバス

  • 中央病院 - 市役所 - まちなか交通広場 - ユニバース十和田東店 - ひがしの - 一本木沢 - 藤高 - 北里大学通 - 東コミュニティセンター
    • 1日4往復。火曜日・金曜日・土曜日のみ運行[38]
    • 運行委託 : (株)三本木タクシー[38]
    • 車両: 三本木タクシーが保有するジャンボタクシー車両(トヨタ・ハイエース)を使用[38]

道路

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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蔦温泉

出身有名人

文化・芸能

スポーツ

政治・行政

ゆかりのある人物

脚注

参考文献

外部リンク

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