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印東玄得
幕末から明治にかけての医学者 ウィキペディアから
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印東 玄得(いんどう げんとく[2][3]、1850年(嘉永3年) - 1895年(明治28年)11月25日[4][5])は、幕末から明治にかけての医学者。東京大学助教授[4]。
経歴
1850年、紀伊新宮生まれ[5]。本姓は坪井で[4]、後に印東氏を継いだ[2]。東京に出て、大学東校に入る[2]。
1876年、東京医学校卒業[6]。准医学士となり、薬物学に長ず[4]。
1879年、東京帝国大学助教を拝命[4]。1881年頃、助教授に任じ、1884年10月に花岡院長の没後を継いで第一医院副院長心得となり、1887年10月に医学士の称号を授与される[4]。阿部泰蔵等と明治生命保険を創立[4]、その保険医となる[5]。1895年11月25日、東京に没す。墓所は台東区の祝言寺[4]。
脚注
参考文献
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