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原住民司法論集
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原住民司法論集(げんじゅうみんしほうろんしゅう)は、 司法省秘書課が1945年12月に、司法資料第290号として刊行した植民地司法制度の研究論文集。ドイツ・イギリスの比較法雑誌『立法比較と国際法ジャーナル』(英語:Journal of Comparative Legislation and International Law、ドイツ語:Zeitschrift Für vergleichende Rechtswissenschaft)などに掲載された論文13件の翻訳集成。

沿革
日中戦争の傍らで、オランダの植民協会、日本の和蘭太平洋協会、また日本とオランダが発起した太平洋問題調査会などにより、インドネシアを含む太平洋の経済開発に関する調査研究が進んでいた[1] 。
原住民司法論集に収録の13件の論文は、イギリスやドイツ、フランスなど欧州の法学者の論文で発表時期が明らかなものは1932年から1939年の間に発表されたものである。日本語訳が行われていた時期は不明であるが、第二次世界大戦の前には、アフリカ、アジア植民地の宗主国の法律家らが、植民地における司法支配の方法を共同的に研究していたことが窺える。なお翻訳は、司法省に出向していた裁判官内藤頼博、荒川正三郎、古開敏正、澤井種雄などが担当した。
論文『ジャワにおける司法』は、1942年の蘭印作戦でジャワ島が日本軍に占領され閉鎖されたころに、オランダ植民地であったバタビア(現ジャカルタ)のバタビア法科大学のラデン・スポモ教授が、日本の軍政司法に協力してオランダ領東インドの司法制度を英文で記述したものである。これを裁判官環昌一が翻訳した。
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収録論文の一覧(外部リンク)
リンク先は国立国会図書館デジタルコレクション。5, 6, 10, 11, 12, 13は『立法比較と国際法ジャーナル』に掲載の論文。翻訳書では国名は漢字表記。
- 『ジャワにおける司法』、スポモ著、環昌一訳。[2]
- 『戦前におけるスマトラの司法制度概要』 (スマトラ司法資料第29号)、スポモ著、大日本帝国スマトラ軍政司法当局訳。[3]
- 『マレーシア占領地の裁判制度概要』 (1939年マレーシア年鑑)、イギリス領マレーシア。
- 『オランダ領インドの司法』(植民地問題第2巻第2章)、K. アンヘリーノ著、ベルゲー訳、荒川正三郎訳。[4]
- 『オランダ領東インドにおける慣習法』、アムリー・ヴァンデンボッシュ著、坂野英雄訳。[5]
- 『比較法学・原住民と植民地法』、エル・テュルンワルト著、伊藤俊夫訳。[6]
- 『英国委任統治領タンガニカにおける原住民司法』、ギュンター・ウィンケルマン著、伊藤俊夫訳。[7]
- 『ドイツ国支配下のドイツ領東アフリカ・カメルン及びトーゴにおける原住民司法』、ギュンター・ウィンケルマン著、伊藤俊夫訳。[8]
- 『委任統治領トーゴ及びカメルンにおける原住民裁判権』、ウィルヘルム・ヴェングラー著、伊藤俊夫訳。[9]
- 『東アフリカの司法』 (英国植民地大臣司法調査委員会)、アリソン・ラッセル著、内藤頼博訳。[10]
- 『イギリス領アフリカにおける原住民の法と慣習の承認』、ジュリアス・ルーイン著、坂野英雄訳。[11]
- 『イギリス刑法制度下のアフリカ原住民』、C. クリフトン・ロバーツ著、古開敏正訳。[12]
- 『フランス属領インドにおける原住民キリスト教徒に適用すべき法の研究』、M. F. P. ハーチェンローダー著、澤井種雄訳。[13]
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翻訳者
裁判官環昌一は、戦後は最高裁判所調査官、1976年から1982年までは最高裁判所裁判官を務めた。翻訳者のうち裁判官の地位にあった者は、内藤頼博、荒川正三郎、古開敏正、澤井種雄も含め、東京帝国大学法学部を卒業している。
また、同号が刊行された当時の司法大臣松阪広政は革新官僚の一人で、戦後はA級戦犯として刑に服したのち、佐藤栄作首相の弁護士を務めた。
関連項目
脚注
参考文献
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