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吉田重氏
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吉田 重氏(よしだ しげうじ)は、安土桃山時代から江戸時代前期にかけての武将・弓術家。日置流印西派の始祖。
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略歴
→「日置流 § 大和日置系統 (吉田流)」も参照
近江国蒲生郡葛巻村出身。始め葛巻源八郎と称し、日置流(吉田流)弓術を伝えた吉田氏当主・吉田重綱の娘を娶るが、後に重綱と不仲となり、重綱の弟・業茂(左近右衛門・木反)に弓術を学び、婚家の姓を継いで吉田一水軒印西と号した[2]。
重氏の弓術の技術は精妙の域に達し、始め豊臣秀次、次いで結城秀康、松平忠昌に仕え、後にその技術を以って徳川家康、秀忠、家光の3代に拝謁した[3]。 寛永15年3月4日(1638年4月17日)死去。各地に門人が多数おり、これらは印西派と称された[4]。
嫡子・重信も弓術に精通し、寛永4年(1628年)12月16日、大御所徳川秀忠及び将軍家光に拝謁[4]、召されて旗本に列した[5]。重信の弟の三右衛門、重好(平内)もまた技術を継ぎ有名であった[4]。
脚注
参考文献
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