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吉良町富好新田
愛知県西尾市の地名 ウィキペディアから
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吉良町富好新田(きらちょうとみよししんでん)は、愛知県西尾市の地名。
地理
河川・池沼
- 矢崎川
交通
施設
- 青鳥山真正寺
歴史
地名の由来
当新田は、吉良義央の命により開発された新田であり、「富」の字は義央の夫人の富子に由来するとされる[1]。富子は眼病を患ったものの、身延山に祈願したところ治癒したことにより、その感謝から新田開発を発願したという[1]。しかし、慶長14年(1609年)から元禄15年(1702年)まで、吉良家の義弥・義冬・義央の3代にわたる事績が書き継がれた『吉良家日記』には、富好新田の開発などを当時の吉良家や義央が行ったという記述やそれに類する記録は一切見られず[2]、義央が行ったとされている治績は、実際には後世の領主や幕府などが行ったものである可能性が高いと見られている[2]。
沿革
- 江戸時代 - 三河国幡豆郡富好新田として所在[1]。開発当初は旗本吉良氏知行[1]。
- 元禄元年 - 吉良義央の命により干拓が開始される[1]。
- 元禄10年 - 竣工[1]。
- 元禄16年 - 赤穂事件に伴う吉良家の改易により、幕府領となる[1]。
- 宝永2年 - 一部が旗本津田氏知行となる[1]。
- 天保2年 - 津田氏知行分が西尾藩領となり、以降は幕府と西尾藩による相給となる[1]。
- 1889年(明治22年) - 富好新田村となる[1]。
- 1890年(明治23年) - 保定村大字富好新田となる[1]。
- 1906年(明治39年) - 吉田村大字富好新田となる[1]。
- 1924年(大正13年) - 吉田町大字富好新田となる[1]。
- 1955年(昭和30年) - 吉良町大字富好新田となる[1]。
- 2011年(平成23年)4月1日 - 幡豆郡吉良町大字富好新田が合併により、西尾市吉良町富好新田となる[WEB 6]。
人口の変遷
国勢調査による人口および世帯数の推移。
1995年(平成7年)[WEB 7] | 406世帯 1405人 | |
2000年(平成12年)[WEB 8] | 443世帯 1415人 | |
2005年(平成17年)[WEB 9] | 487世帯 1515人 | |
2010年(平成22年)[WEB 10] | 466世帯 1376人 | |
2020年(令和2年)[WEB 1] | 497世帯 1273人 |
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脚注
参考文献
関連項目
外部リンク
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