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后母戊鼎
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后母戊鼎(こうぼぼてい)は、古代中国殷の青銅器。近年までは「司母戊鼎(しぼぼてい)」と呼ばれていた。現存する青銅器としては世界最大である[1]。1939年、河南省安陽県武官村(現在の河南省安陽市殷都区北蒙街道武官村)で出土した。

同定
鼎の内壁に「后母戊」との金文がある[2]。これは殷朝の第22代王武丁(前1250年 - 前1192年)の妻婦妌 (Fu Jing) の廟号で[3]、鼎は婦妌の死後、おそらくは息子である第23代王祖庚によってつくられたものである[4]。鼎が出土したのは1939年だが、婦妌の墓[5]自体が見つかったのは1959年で、墓は既に盗掘されていた[4]。
概要

四足を有する横長方形の鼎で、大きさは通高 133 cm、長さ 110 cm、幅 79 cm、重量は 832.84 kgである[2]。殷代初期の鼎と比較して幅広で壁も厚く、よりがっしりとした作りとなっている[6]。器腹の縁は饕餮文で装飾されており[6] 、取っ手には虎が人を喰らいながら互いに向き合う文様もあるが、これは武丁の別の妻婦好の戦鉞にも同じ装飾がみられる[6]。
解釈
鼎内面の金文ははじめ「司母戊」と読まれていたが、1970年代以降、学者間で一文字目は「后」であるとの見解に合意が得られるようになった。後に中国国家博物館も公式に名称を訂正した[7]。なお『説文解字』によれば「司」と「后」は鏡文字となる[8]。
脚注
参考文献
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