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向井爽也
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向井 爽也(むかい そうや、1931年8月24日[1] - 2005年2月5日)は、日本の演劇評論家、TBSディレクター[2]。洋画家向井潤吉の長男[2]。
経歴
1931年(昭和6年)、東京に生まれる[3]。麻布高校、早稲田大学仏文科・政治科、早稲田大学大学院演劇科を卒業[3]。TBSテレビで番組制作に携わりながら、演劇評論を執筆する[2]。1963年(昭和38年)、浅草で劇団を立ち上げていた萩本欽一を誘い、初めてテレビに出演させた[4]。
1973年(昭和48年)に創部された東京大学レスリング部の初代監督を務めた[5]。1978年(昭和53年)時点では他に日本アマチュア・レスリング協会理事、同学連理事、同社会人連盟常務理事、国学院大学レスリング部コーチなどの経歴が記載されている[6]。
1991年(平成3年)以降はTBSを退社してフリーとなる[3]。芸術祭、芸術選奨の審査員を歴任[3][7]。他に、榎本健一を中心とする「東京喜劇研究会」の代表を務めた[2]。2005年(平成17年)に肺がんのため東京都内の病院で死去した[2]。73歳没[2]。
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演出作品
- 「虹の国から」1960-1961年
- 「若いやつ」1962年
- 「ジンタカ・パンチ!」1966年
※出典:テレビドラマデータベース[8]
著書
脚注
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