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呂号第三十九潜水艦

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呂号第三十九潜水艦(ろごうだいさんじゅうくせんすいかん)は、日本海軍潜水艦呂三十五型潜水艦(中型)の5番艦。

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艦歴

1941年昭和16年)の昭和16年度計画(マル臨計画[1]により、1942年(昭和17年)8月8日、三菱重工業神戸造船所で起工。1943年(昭和18年)3月6日進水。1943年9月12日に竣工し、二等潜水艦に類別[1]。同日、舞鶴鎮守府籍となり[4]、訓練部隊である第一艦隊第11潜水戦隊に編入された。

11月25日、第11潜水戦隊は第六艦隊所属となる。

1943年12月25日、第34潜水隊に編入[4][5]

12月28日、呂39は舞鶴を出港し[4][5]1944年(昭和19年)1月6日にトラックに到着[5]。17日、特設潜水母艦平安丸(日本郵船、11,616トン)に横付けして補給を行ったのちトラックを出港し、ウォレアイ環礁周辺海域に進出[4][5]

30日、ウオッゼ北東200浬地点に進出した米機動部隊の迎撃に向かうよう命ぜられる。2月1日、ウオッゼ環礁マロエラップ環礁の航空機搭乗員の救助を命ぜられる[5] [注釈 1]。2月2日、ウオッゼ付近で敵に発見されたとの緊急通信を最後に消息不明[1][5]

アメリカ側記録によると、同日夜、ウオッゼ付近で米駆逐艦ウォーカー英語版(USS Walker, DD-517)がレーダーで浮上している潜水艦を探知し、照明弾を発射して潜水艦を照らし出した。すると潜水艦は緊急通信を発信した後急速潜航していった。ウォーカーは潜航した潜水艦をソナー探知して追尾し、その後爆雷攻撃を行い潜水艦を撃沈した。これが呂39の最期の瞬間であり、第34潜水隊司令・清水太郎大佐、艦長の館上陸太少佐以下乗員70名全員戦死[5]。沈没地点はウオッゼ付近、北緯09度24分 東経170度32分

3月5日、ウオッゼ方面で亡失と認定され、4月30日に除籍された。

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歴代艦長

艤装員長

  • 不詳

艦長

  • 館上陸太 少佐:1943年9月12日 - 1944年2月4日戦死[2]

脚注

参考文献

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