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和泉国分寺
大阪府和泉市国分町にある高野山真言宗の寺院 ウィキペディアから
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和泉国分寺(いずみこくぶんじ)は、大阪府和泉市国分町にある高野山真言宗の寺院。山号は護国山[1]。本尊は薬師如来[2]。通称を「福徳寺」とも[2]。
歴史

聖武天皇肖像
創建は不詳。国分寺建立の詔は天平13年(741年)に出されたが、当時は和泉国は未成立(河内国のうち)であり、天平宝字元年(757年)の和泉国成立後の承和6年(839年)に国分寺に指定される以前は「安楽寺」と称される寺院であった[2][3]。寺域出土の瓦では、7世紀後半の軒丸瓦が見られるも1点のみであり、数量の点では8世紀から本格的に整備されたと見られる[3]。ただし本格的な発掘調査は未実施のため伽藍・時期の詳細は明らかでない[3]。
承和6年(839年)に国分寺に指定された際には、講師1員・僧10口が置かれたが、読師は置かれなかった[2][3]。また和泉国内に国分尼寺は設置されていない[2][1][3]。なお、所在地は和泉国の国府推定地(府中付近)からは離れた位置になる[3]。
延長5年(927年)成立の『延喜式』主税上の規定では、和泉国の国分寺料として稲5千束があてられている[2][1]。
その後の変遷は詳らかでなく、「兼貞珍光時論田勘注案」に引用される嘉承元年(1106年)・天仁2年(1109年)の文書に国分寺領の記載が見えるのみになる[2][1]。鎌倉時代末頃には国分寺の機能を喪失していたと見られる[1]。
『泉州志』では「国分寺今号福徳寺」の金堂・塔・中門・大門の礎石が散在する旨が記されるが、現在では礎石の所在は明らかでない[2][3]。
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境内
- 境内入り口
- 境内の和泉国分寺跡碑
- 旧本堂
文化財
和泉市指定文化財
- 有形文化財
- 千手観音立像 - 平安時代の作。2018年(平成30年)3月8日指定[4]。
脚注
参考文献
関連文献
外部リンク
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