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天平
日本の元号 ウィキペディアから
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天平(てんぴょう、旧字体:天平󠄁)は、日本の元号の一つ。神亀の後、天平感宝の前。729年から749年までの期間を指す。この時代の天皇は聖武天皇。
改元
天平年間の出来事
- 元年(729年)
- 2年(730年)
- 3年(731年)
- 5年(733年)
- 6年(734年)
- 7年(735年)
- 8年(736年)
- 9年(737年)
- 4月:天然痘で参議藤原房前(57・参議)が薨去する。
- 7月:同じく天然痘で藤原麻呂(43・参議)と藤原武智麻呂(58・右大臣)が薨去する。
- 8月:同じく天然痘で藤原宇合(44・参議)が薨去する(=藤原四兄弟が全て薨去)。橘佐為も死亡する。僧侶を宮中に召集して『大般若経』・『最勝王経』を読誦させる。玄昉が僧正となる。
- 9月:鈴鹿王(参議)を知太政官事に、橘諸兄(54・参議)を大納言に任命する。
- 12月:武智麻呂の遺児藤原豊成 (34) が参議になる。
- 12月27日:玄昉が聖武天皇 (37) の生母藤原宮子(皇太夫人)の病を祈禱によって治療する。令制国の「大倭国」(現奈良県)を「大養徳国」に改める。
- 10年(738年)
- 12年(740年)
- 5月:聖武天皇 (40) が相楽にある橘諸兄 (57) の別荘へ行き、宴会で諸兄の息子橘奈良麻呂 (20) に従五位下を授ける。
- 8月29日:大宰府の藤原広嗣が、国政を批判し、玄昉と下道真備を排除するよう求める上表をする(=藤原広嗣の乱)
- 9月3日:広嗣の上表が謀叛と断じられ、大野東人が大将軍として1万7千人の兵を率いて征討に向かう。
- 10月19日:旅行のため伊勢国に仮宮を造るよう天皇が命令する。
- 10月23日:逃亡中の広嗣やその弟藤原綱手が五島列島で逮捕される。
- 10月26日:「思うところあって関東に行く。そのような時ではないが仕方の無いことである」との勅が天皇から大野東人に発せられる。
- 10月29日:天皇、皇后、元正上皇 (61)、諸兄らとともに平城京を出発する。
- 12月15日:恭仁京へ遷都する[1]。
- 14年(742年)
- 大宰府廃止。
- 15年(743年)
- 5月27日:墾田永年私財法施行。
- 16年(744年)
- 17年(745年)
- 20年(748年)
- 元正上皇 (69) が崩御する。
- 21年(749年)
誕生
死去
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西暦との対照表
要約
視点
※は小の月を示す。
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脚注
関連項目
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